2016年11月号 [Vol.27 No.8] 通巻第311号 201611_311003

環境研究総合推進費の研究紹介 18 日本海を詳細に調べて海洋環境への温暖化影響を早期に把握する 環境研究総合推進費2-1604「温暖化に対して脆弱な日本海の循環システム変化がもたらす海洋環境への影響の検出」

  • 地球環境研究センター 炭素循環研究室 主任研究員 荒巻能史

【連載】環境研究総合推進費の研究紹介 一覧ページへ

1. 研究の背景

2013年から2014年に公表された気候変動に関する政府間パネル(IPCC)第5次評価報告書(AR5)により、過去40年間に深度700mまでの海洋表層水が昇温したこと、過去約10年間に底層水(深度3000m〜海底の海水)も昇温した可能性が高いことがはじめて報告された。海洋における直接的な温暖化影響、すなわち海洋の熱蓄積量の増加は海水体積の膨張に伴う海水面の上昇をもたらす。その一方で表層水の昇温に起因する成層強化によって、間接的には海洋物質循環に影響を与える可能性も指摘されている。具体的には、海洋内部の溶存酸素濃度の低下、表面水中の栄養塩濃度・生物生産量の低下などである。加えて、海洋表面とその内部の混合が阻害されることで表面水中の海水酸性化が強化されることも考えられる。

2. 日本海の特性

日本海はユーラシア大陸と日本列島に挟まれた閉鎖性の強い縁辺海である一方、その最大深度は3700m以上もあり大洋で見られる様々な海洋現象が存在していることから「ミニチュア・オーシャン」とも呼ばれている。例えば、冬季の北西部海域では結氷するほどに冷やされて密度が大きくなった表面海水が海洋内部に沈み込む、独自の鉛直的な大循環システムが存在している。大洋における循環システムがおよそ2000年のタイムスケールであるのに対して日本海はおよそ100年と推定されているので、日本海をモニタリングすることで、あたかもDVDの倍速再生のように地球規模の海洋環境の変化を観察することが可能となる。実際、過去数十年間に日本海底層水(日本海の深度2000〜2500mよりも深い海水の総称)中の水温が上昇し、溶存酸素濃度が継続的に減少していることが明らかになっている。これは近年の温暖化に伴って表面海水の海洋内部への沈み込みが停滞していることを示唆するものと考えられている。これらの観測事実から、IPCC AR4では「日本海は温暖化に対して最も脆弱な海域のひとつ」として継続的な監視の重要性を唱えている。

3. 研究課題2-1604の概要

環境研究総合推進費2-1604は今年度開始したばかりであり、現時点ではまだ成果が得られていない。したがって、ここでは本課題の概要を説明するに留まることをご了承願いたい。本研究班は、本課題に先立ち平成22〜24年度に実施した環境研究総合推進費A-1002「日本海深層の無酸素化に関するメカニズム解明と将来予測」によって、温暖化に伴う日本海における海水循環システムの変化を定量的に評価した。その研究成果の詳細については平成24年度環境研究総合推進費終了成果報告集[注])にあるのでご一読頂きたいが、一部をここに抜粋して紹介する。

海水中溶存酸素濃度の精密測定と歴史的資料の精査から、1930年から現在までの深層海水中の溶存酸素濃度の時間変動を見積もった。図1には、日本海底層水中の溶存酸素濃度と日本海北西部沿岸に位置するロシア・ウラジオストク市の冬季気温の強弱の時間変動を示している。最低気温が−20°Cを下回った日数が20日を超えた年を厳冬年とすると、厳冬年の頻度は少なくとも1960年以降に激減しており、これに呼応するように溶存酸素濃度も減少傾向に転じている。一方、厳冬年の数年後には溶存酸素濃度がわずかに増加傾向を示す。このことから、我々は「日本海の深層部では、北西部海域が厳冬時にのみ、間欠的に表面海水の沈み込みによって日本海底層水に酸素が供給されるものの、新たな酸素供給が無い期間は有機物の分解によって酸素が消費されている」という仮説を立て、海水中の放射性炭素(14C)データを用いたボックスモデル計算から日本海底層水における酸素の消費速度を2.0µmol/kg/yrと見積もった。現在の溶存酸素濃度が195〜200µmol/kg(海水1kg中に含まれる酸素の物質量をµmol(マイクロモル)で表したもの。µ(マイクロ)は100万分の1(10−6)を表す。酸素1µmolを重量(g)に換算すると、およそ32µgとなる)なので、この見積もり結果は表層からの酸素供給が完全に停止してしまうと今後100年以内に日本海底層水が無酸素化することを示唆するものである。そこで、冬季の表面海水の深層への沈み込み規模の変動を調査するために、日本海の3つの海盆(北から順に日本海盆、大和海盆、対馬海盆)において海水中のクロロフルオロカーボン類(通称フロン類)の精密測定を実施した。大気中に工業的に放出されたフロン類は大気海洋間のガス交換によって海水中に極微量に存在するが、海水中では化学的に安定であるために大気中フロン類の濃度比が維持される。これを利用して、毎年冬季に海面付近にあったフロン類が沈み込みによって深層海水中にどの程度含まれているか、すなわち各海盆における深層海水への表面海水の寄与率を、1930年から現在までシミュレーション解析した。その結果、1970年からの最近40年間の寄与率はそれ以前の40年間の平均値の15〜40%程度にまで激減していることが明らかになった。海域で比較すると、能登半島沖に広がる大和海盆が最も減少していることも分かった。

figure

図1日本海底層水の溶存酸素濃度とロシア・ウラジオストク市の冬季気温の強弱の時間変動 プロットは日本海底層水中の溶存酸素濃度(µmol/kg)、折れ線は毎年12月〜2月の間にロシア・ウラジオストク市の最低気温が−20°Cを下回った日数の積算を示す[Kumamoto et al., 2008を一部改変]。

このように、日本海ではすでに地球の温暖化に伴って海洋循環システムが、確実に、そして劇的に変化を始めていることが分かってきた。そこで本研究課題2-1604では、上述課題の後継として、海洋循環システムの変化によって引き起こされる海洋内部の物質循環の変化に焦点を当て、生物生産や炭素循環の変化、さらには海洋酸性化の進行度などの海洋生態系への影響の検出を目指している。本課題は、(1) 海水循環および炭素循環の変動の検出、(2) 深層水の構造変化とそれにともなう深層流の変化、(3) 海洋生物生産量の変動の検出 の3つのサブテーマで構成され、それぞれ国立環境研究所、九州大学、海洋研究開発機構に所属する研究者が参加している(図2)。以下、サブテーマごとに研究概要について述べる。

figure

図2研究概要と研究体制

(1) 海水循環および炭素循環の変動の検出

海水中のフロン類等の化学トレーサーの分析と過去の観測データを数値モデルに組み込み、海水循環の変動を検出する。また、表層pCO2や全炭酸濃度やpHなどのCO2に関連する化学種の断面観測を実施し、ニューラルネットワーク法を適用することで日本海全域のpCO2や全炭酸等の分布を推定する。ここで得たアルゴリズムを歴史的資料にも適用することで過去30年程度の時間変動を把握し、炭素循環の変化や酸性化の進行度を検出する。これらと並行して、すべてのサブテーマで得られるデータをもとに日本海内部における物質循環シミュレーションモデルを構築し、その感度解析を通じて深層の溶存酸素の長期変化などを定量的に評価するとともに将来予測を行う。

(2) 深層水の構造変化とそれにともなう深層流の変化

既存の観測資料及び新たに得られる海水特性と流れのデータを用いて、数十年スケールでの日本海深層の構造的な変化を明らかにし、他のサブテーマで得られる結果との相互解析により、各種化学物質の分布を海洋物理学的視点から検証する。

(3) 海洋生物生産量の変動の検出

海水試料中の溶存酸素濃度の分析と過去の観測データを組み合わせて解析し、表層から海底直上における溶存酸素の深度ごとの存在量の経年変化を見積もる。また、基礎生産量(光合成や化学合成によって無機物から有機物が生産される量のこと。具体的には植物プランクトン等が光合成によって海水中の二酸化炭素を有機物に変えることで固定される「単位時間、単位面積あたりの炭素量」のことを指す)の現場観測と、衛星から得られる海面データを組み合わせることで日本海の基礎生産量推定アルゴリズムを開発する。さらに、これを衛星データが取得可能な最近20年に適用して生物生産量変動の検出を目指す。

4. 研究課題2-1604が目指すもの

本課題では、温暖化によって海水循環システムの変化が顕著になってきた日本海において、その海洋生態系への影響を評価することを目標とする。それらを敷衍することで、国民にとって馴染み深い日本海の環境及び水産資源保全に向けた施策立案の根拠となる科学的知見を獲得・提示する。さらには、ミニチュア・オーシャンたる日本海の研究から得られる知見を、地球システムの視点から考究することにより、温暖化による全海洋への影響やその将来像の理解へと深化させる。

脚注

  • 「平成24年度 環境研究総合推進費 終了成果報告集」は http://www.env.go.jp/policy/kenkyu/suishin/kadai/syuryo_report/h24/h24_suishin_report.html から閲覧できます。

ご意見、ご感想をお待ちしています。メール、またはFAXでお送りください。

地球環境研究センター ニュース編集局
www-cger(at)nies(dot)go(dot)jp
FAX: 029-858-2645

個人情報の取り扱いについては 国立環境研究所のプライバシーポリシー に従います。

TOP