2017年11月号 [Vol.28 No.8] 通巻第323号 201711_323004

オピニオン 「分煙」を手がかりに考える「脱炭素」の大転換

  • 地球環境研究センター 気候変動リスク評価研究室長 江守正多

筆者は年間50回くらい、様々な場所で一般市民向けの講演をさせて頂いています。地球環境研究センターニュース2017年7月号では「四日市公害と環境未来館」の生川貴司館長に、8月号では環境省京都御苑管理事務所の田村省二所長に、筆者が講演にお邪魔した際のご報告を執筆して頂きました。感謝申し上げます。

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写真1四日市公害と環境未来館での講演(地球温暖化の現状と将来予測、二酸化炭素排出削減の必要性とともに、分煙を例に社会の大転換について解説しました)

それらのご報告の中でも触れて頂いていますが、最近、筆者は気候変動問題の講演の最後に必ず「分煙」の話をしています。なぜ、気候変動と直接関係がなさそうな「分煙」の話をするのか。本稿ではそのことを説明させて頂きます。

このアイデアは2016年3月にYahoo!ニュース記事として発表したものです。 https://news.yahoo.co.jp/byline/emoriseita/20160315-00055417/ また、「地球温暖化防止コミュニケーター」の解説ビデオとして、2017年6月よりYou Tube映像も公開しています。 https://www.youtube.com/embed/h27LacFNfT0

世界が目指す「脱炭素」は本気?

筆者の講演では、気候変動のメカニズム、現状、将来予測、リスクのことを順にお話しした後、パリ協定の長期目標を紹介します。長期目標とは、「世界平均気温上昇を産業化以前を基準に2°Cよりも十分低く、できれば1.5°C未満に抑える」ために、「今世紀後半には人間活動による世界の温室効果ガス排出量を正味ゼロにする」というもので、これに世界が合意したということです。そして、現状で世界のエネルギー供給の約8割を占める化石燃料を、二酸化炭素(CO2)を出さないエネルギー源に100%転換(脱炭素)すれば、この目標の大部分は達成可能だということを述べます。

ここまで聞いてもらったところで、筆者は毎回、聴衆のみなさんに質問をしています。「脱炭素」なんていうことが今世紀中に「起きるかもしれない」と思うか、「無理じゃないか」と思うか、どちらかに手を挙げてもらうのです。結果は聴衆の層によって毎回ある程度違いますが、「起きるかもしれない」が2〜3割、「無理じゃないか」が7〜8割となることが多いようです。

筆者はこの部分が非常に重要であると思っています。つまり、世界でそんな目標が合意されたと聞いて、「そんなことは実際は不可能だけど、理想論として掲げているのではないか」と思うか、それとも「世界はその目標に向けて本気で大きく動き出すのではないか」と思うかで、この話の受け止め方がまったく違ってしまうからです。そして、「普通の人」の7〜8割は、この話を本気だとは受け取らない傾向があるのです。

常識が変化した例としての「分煙」

ここで「分煙」の話の出番がきます。その役目は、「社会の常識がいつの間にか大きく変わってしまうことがある」ことの身近な例です。このような、人々の常識の変化(難しくいえば「世界観」の変化)を伴う社会の変化は、「大転換(transformation)」とよばれて、近年の持続可能性問題等の専門家の議論に盛んに登場するようになってきている考え方です。専門家の議論でよく出てくる、歴史上に起こった「大転換」の実例は、産業革命や奴隷制廃止です。しかし、筆者はより身近で実感しやすい話として「分煙」を選びました。

ここで筆者が言いたいのは、パリ協定の目標は、今の常識を前提にした技術や制度の導入の問題として考えていたら、できそうな気がしなくて当たり前だということです。特に、今の常識では、環境問題の対策には我慢、辛抱、コスト、不便といったイメージがつきまとう傾向があるようです。そんなイメージをもったままでは、排出量を世界でゼロにしようなんて、本気だと思えなくて当たり前です。そうではなくて、常識が変わる必要があるのだと思います。そしてそれは、起こり得ることです。

常識が変化するステップ

ある程度以上長く生きてらっしゃる方は、思い出していただければわかると思いますが、30年くらい前は、公共交通機関でも、飲食店でも、職場でも、どこでもタバコを吸ってよいのが当たり前でした。今ではタバコは決まったところで吸うのが当たり前になりました。確かに常識が変わっています。

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写真2飛行機のトイレと(左)高速バスの座席背面(右)に現在もみられる灰皿 飛行機では今でも万一吸った人がゴミ箱やトイレに吸い殻を捨てないように設置されているそうですが、吸ったらもちろん厳罰の対象です。高速バスの方はフタが接着されていて開きませんでした。吸えたころの名残り?でしょうか

どうしてそういう変化が起きたか。これは筆者の仮説ですが、いくつかのステップがあったと思います(実際にはこれらのことはある程度並行して起きたでしょう)。

  1. 科学:受動喫煙が非喫煙者の健康を害することが医学的に実証される。
  2. 倫理:受動喫煙被害者への配慮が社会的に共有され始める。
  3. 制度:「健康増進法」が制定され、受動喫煙の防止義務ができる。
  4. 経済:分煙を導入した方が、飲食店が繁盛するようになる。

そうして気が付いてみると、分煙はいつのまにか常識になっていました。

ここに気候変動問題を重ねて考えてみます。

  1. 科学:IPCCに代表されるように、気候変動の原因や影響の科学的な解明が進む。
  2. 倫理:途上国や将来世代を含む、(自分達はCO2をほとんど出していないのに)深刻な気候変動の被害にあう人々への配慮の必要性が認識される。
  3. 制度:国連気候変動枠組条約、パリ協定ができる。
  4. 経済:再生可能エネルギー等の大規模導入、価格低下が起こり、有力なビジネスになり始める。投資家が持続可能性の観点を重視し始める。

このように、分煙と似た形のステップを考えることができます。ただし、分煙の場合と違って、気候の場合は最後にもうひとつ本質的なステップが必要で、それはまだ(十分には)実現していません。

  • 5. 技術:安くて便利で安定したクリーンエネルギー技術が確立する。

たとえば、再生可能エネルギーもエコカーも、今は(特に日本では)従来の火力発電や普通のガソリン車と比べてコストが高いのが常識です。しかし、ビジネスや投資のトレンドの変化によりイノベーションが進めば、その常識は変わり得ます。それらのクリーンな技術が従来の技術より安くなったとき、世界中のエネルギーシステムが脱炭素の「大転換」を起こすことを想像するのは難しくないでしょう。

気が付いたこと

分煙のことを考えていて気が付いたことを4つ挙げます。

1つめは、分煙は喫煙者がタバコを吸う自由自体を奪ってはいないことです。吸う場所だけ気を付けてください、という、いわばマナーの問題です。同様に、「脱炭素」という話は人間がエネルギーを使う自由を奪いません。エネルギーの作り方と効率に気を付けてください、ということであって、エネルギーの使用に対して我慢や辛抱を強要するものではありません。

2つめは、分煙が常識になったのは、社会の大多数の人が受動喫煙の科学を理解してその被害者への倫理的な配慮を共有したからではないだろうということです。多くの人は受動喫煙問題に無関心だったでしょうが、制度ができて経済が動くと、無関心だった人も知らないうちに新しい常識に従っていたのだと思います。環境問題も無関心な人が多いと嘆く声をよく聞きますが、制度、経済、技術が動けば、無関心な人が多くいても常識は変わり得るし、無関心だった人は知らないうちに新しい常識に従っているはずです。

3つめは、罰則は必ずしも必要ないということです。現行の健康増進法には罰則がありません(最近議論されている改正案では罰則を付けようとしているようです。また、自治体の条例などでは罰則付きのものもあるようです)。しかし、分煙が常識になれば人々は分煙を守ります。同様に、パリ協定も各国の目標達成に対して罰則がありませんが、常識が変われば、罰則がなくても人々は脱炭素を目指すかもしれません。

最後に、分煙が常識になる前は、そんなことが起きることを想像することは難しかったでしょう。30年前の常識で、今の分煙社会を想像できた人がどれだけいたでしょうか。しかし、常識が変わった今となっては、当時を振り返ると、あんなにどこでもタバコを吸えたなんて逆に信じられません。同様に、今の常識で考えると脱炭素を想像することは難しいですが、数十年後に今の時代を振り返った人は、「当時は世界のほとんどのエネルギーをCO2を出しながら作っていたなんて信じられない」というかもしれません。

わたしたちが考えるべきこと

国内外の報道を注意してみていると、常識が変化する兆しを感じる機会は少なくありません。過去3年間、世界経済が成長しているにもかかわらず、CO2排出量の増加が止まっていること、多くの有名企業が再生可能エネルギー利用100%を目指すようになったこと、フランスやイギリスが2040年以降のガソリン、ディーゼル車の販売禁止を宣言したこと(中国も検討中とのこと)、太陽光発電や風力発電が火力発電より安くなった地域が出始めていること、などです。加えて、AI(人工知能)、IoT(モノのインターネット)、自動運転、ドローンなどの新しい技術が、社会のエネルギーとのかかわり方の常識を、人々の想像がつかないような形で変えてしまうという期待は、今や何ら突飛なものではなくなっています。一方で、常識が変わろうとするときには、それに抗う動きも出てきてせめぎ合いになることも、想像に難くありません。

気候変動問題に関心がある人が考えるべきことは、我慢や辛抱によりエネルギーの使用を少し減らすことよりも、この常識の変化をそれぞれの立場から推し進めることなのだと思います。また、企業が理解すべきことは、この常識の変化に関心を持たずに、変化が起きた後にそれに従う立場に身を置くとしたら、それは深刻なビジネスリスクを意味するだろうということです。

これこそが、筆者が分煙の例を通じて社会に伝えたいと思っていることです。

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