2017年12月号 [Vol.28 No.9] 通巻第324号 201712_324005

長期観測を支える主人公—測器と観測法の紹介— 15 CONTRAILプロジェクトにおける手動大気採取装置(MSE) —0泊2日のパリ往復での観測について—

  • 地球環境研究センター 大気・海洋モニタリング推進室長 町田敏暢

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ここではフランス・パリを0泊2日の強行日程で往復して上空大気の採取をする航空機観測の紹介をします。

1. MSE観測とは

日本航空(JAL)の航空機を利用した温室効果ガスの観測プロジェクト(CONTRAILプロジェクト)では、航空機搭載型の連続二酸化炭素測定装置(CME)と自動大気採取装置(ASE)の2つを用い、航空機外から大気を取り入れて観測を実施しています。2つの装置は民間航空機に搭載するための厳しい安全試験を経て搭載許可を得ており、搭載できる航空機の型もボーイング777型機の一部と決まっています。JALは世界に広く運航網を広げていますが、これらの機材を使っていない路線ではCMEやASEを搭載した観測はできません。そこでASEの観測を補うために、電気を一切使わない手動ポンプで空気を採取する「手動大気採取装置(MSE)」を用意して観測を行うことにしました。MSEは通常の空気採取ポンプのモーター部分を取り外してギヤとハンドルを付けた手動ポンプと12本の金属容器(フラスコ)からなるシンプルな機器で構成されています。採取した大気試料は実験室に持ち帰って二酸化炭素(CO2)などの温室効果ガスの濃度や炭素や酸素の同位体比を測定します。

MSEは「手動」なので人の力が必要です。すなわちこの観測には観測者の帯同が必須になります。試料となる空気は操縦室(コックピット)のエアコン吹き出し口からのものを使います。客室のエアコンは機外の新鮮な空気と客室空気の一部を混合して再循環させたものを使っていますが、操縦室のエアコンは一般に再循環なしの「機外の空気のみ」が供給されるので観測に使うことが可能です。よって観測者は飛行中ずっと操縦室に滞在して大気採取を行うことになります。これまでCONTRAILでは、シドニー路線、ホノルル路線、パリ路線においてMSE観測を行った経験があります。その中でも飛行時間が最も長いパリ路線での観測の様子を以下に紹介します。

2. パリまでのフライト

羽田空港からパリのシャルルドゴール空港までは片道で約12時間を要します。JALではパリ行きは昼間、日本行きは夜間の運航になりますが、MSE観測は作業性を考慮して明るいパリ行きで実施することにしています。羽田発10:30の便に搭乗するために8時には空港に入り、運航乗務員(パイロット)の方々に同行して乗客よりも先に搭乗し、装置を所定の場所に収納して出発を待ちます。我々観測者は副操縦士席の後方のセカンドオブザーバーシートという席に座ります。MSEには12本の金属フラスコを用意していますので、パリまでの航路のうちの12カ所で大気を採取します。採取位置は経度を基準として設定してあり、東経135度のロシアのハバロフスク付近が1本目となり、以下経度10度間隔で採取を行い、東経55度からは15度間隔に変更して東経10度のデンマーク付近で最後の12本目を採取します。この間の航空機の飛行ルートは真東に進むわけではなく、最短距離である地球の大円に近い航路をたどるので中間点付近では北極海近くまで北上します。地球儀を見てわかる通り、経度の間隔は北極に近づくほど狭くなります。従って空気採取の時間間隔は、開始直後は2時間から1時間半であるものが、5本目以降は約30分の間隔になり、10本目以降は再び1時間から1時間半ほどの間が開くといった不均一なものになります。パリ到着は現地時間の16時頃ですので、ずっと明るい昼間の時間帯を飛行しているはずですが、冬になると北極海付近では太陽は南の地平線から下に隠れてしまい、極夜の領域を飛行することもあります。

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写真1MSE観測の様子(ポンプを回して空気を採取しています) 【安全を確認したうえで、機長の許可を得て撮影しています】

3. 空気採取の方法

空気採取で最も注意しなければならないことは大気試料の汚染です。特に、CO2は人間が吐く息に高い濃度で含まれていますので、操縦室内の空気が少しでも混合してしまうと正しい観測値が得られなくなります。空気取り入れ口からポンプへ、ポンプから金属フラスコへの配管の接続を慎重に行うことはもちろん、配管内や金属フラスコ内をきれいな外気で完全に置き換えることが重要になります。そのためには十分な量の空気を流す必要があり、1本のフラスコに空気を採取するにあたりポンプを合計300回以上回すことにしています。狭い操縦室内で前かがみの姿勢でこの作業を行うと背中のあたりが汗ばんでくるのがわかります。

空気採取のタイミングは運航乗務員の方にお願いして、決められた経度に達するおよそ5分前に知らせていただいています。また、観測にとって空気採取を実施した緯度、経度、高度等の位置情報は極めて重要ですが、これらの情報は帰国後にJAL社内の飛行記録から抜粋して提供いただいています。従って観測者は空気採取を行った時刻さえ記録すれば位置情報を確保できることになります。空気採取後には時刻の他に窓から見える地表の状態、例えば雲の量、森林の様子や積雪の様子、森林火災の有無なども記録します。それらは、その時期その場所で森林が光合成を活発に行える状態か、そしてその日の天気は地表の空気を上空まで運びやすい状態か、などの参考情報にします。

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写真2MSEポンプ(右側に見えるのがポンプを回すためのハンドル)

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写真3MSE用金属フラスコ(12本のフラスコで12カ所の大気を採取します)

4. 観測時以外の過ごし方

パリまでの12時間は基本的に操縦室内に留まりますが、運航乗務員と同様な条件(ルール)でトイレに行くことはできます。とは言え、何度も行くと乗務員さんに負担がかかりますので、搭乗前にトイレには必ず行くようにし、飛行中は必要以上に飲み物を飲まないように心がけています。食事は一般の乗客と同様に食べられます。観測のための搭乗ですがきちんとエコノミークラスのチケットを買っていますので、エコノミー用の食事を客室乗務員(キャビンアテンダント)さんに持ってきてもらいます。ただし、観測者の食事は一般の乗客へのサービスが全て終わった後と決めていますので、食べられるのは日本時間で14時半ころになってしまいます。セカンドオブザーバーシートには映画鑑賞などの娯楽設備はもちろんありません。その他、大気採取の合間は窓から外の景色を見たり、運航乗務員さんとお話をしたりして過ごしています。

5. 窓から見えるもの

操縦室の特権で客席とは違う広い窓から外が眺められるのはありがたいです。地表は雲に隠されていることが多いのですが、晴れていれば雪に覆われたシベリアの大地やエニセイ川、オビ川といった大河が見えることもあります。ロシアとヨーロッパの境界であるウラル山脈は古期造山帯の低い山脈ですが、ずっと続いたシベリアの平地の中に急に南北に続く白い雪の帯が見えるのでそれに気付くことができます。ウラル山脈を越えると観測も終盤に入り、「やっとヨーロッパに来た」と感じられ、ほっとした気持ちになります。ロシアのサンクトペテルブルグ付近を過ぎると地表は森林より田園地帯が多くなり、いよいよ観測も終わりに近づきます。

目をやや上方に向けると、追い越していく航空機やすれ違う航空機、それらの航空機が残した飛行機雲を見ることができます。ロシアの上空ではどの航空機も自分たちと平行に飛びますが、ヨーロッパに近づくと横切る航空機や飛行機雲を見ることも多くなります。追い越す航空機はゆっくりと眺めることができますが、すれ違う航空機や横切る航空機(これらは違う高度を飛ぶよう決められています)はあっという間に見えなくなってしまいます。航空機がとても速い交通手段であることを実感できます。

6. 乗務員さんとのコミュニケーション

長いフライトですので運航乗務員さんとはいろいろなお話をします。一番多い質問は観測装置や観測結果、それにプロジェクトについてです。このような質問であればいくらでも話せますし、プロジェクトの意義を説明できるので、研究者としてはありがたいです。乗務員の方々には環境問題に関心の高い方も多く、「CO2は本当に増加しているのですか」「今の生活のままでCO2は減らせるのでしょうか」などと聞かれることもあります。コラムも参照してください。

7. パリ到着後

パリ到着後はMSEの機材をしっかり梱包・固定して機内に残し、一旦降機します。観測者は同じ機材ですぐに羽田に戻りますが、これまでお世話になった往路便の運航乗務員さん、客室乗務員さんは2日後の復路便に乗務するので、降機直後にお別れです。観測者はシャルルドゴール空港の到着階から1つ上の出発階に移動して手荷物検査だけ受けて搭乗ロビーに入ります。この間、パスポートチェックは受けませんのでフランスに入国したことにはならず、パスポートにスタンプは押されないで帰ってくることになります。ラウンジでシャワーを浴びて汗ばんだシャツを交換したら、出発の2時間前には搭乗口に行って復路便の乗務員さんの到着を待ちます。すでに日本時間では午前1時を回っていますが、まだ緊張を緩めることはできません。乗務員さんと一緒に先ほどまで乗っていた航空機に搭乗して、MSE機材の確認、機材搭載場所の調整や、羽田到着後の確認などを行います。帰り便では客席に座れますので、あとは自分の席で乗客の搭乗を待ち、日本時間の午前3時半頃に出発時刻となり、やっと緊張から解放されます。その後の過ごし方は観測担当者によって様々ですが、私の場合はマスク、耳栓、アイマスクの完全防備の上で「爆睡」状態になってしまいます。

8. 最後に

以上のように、MSE観測はJALの全面的なサポートの下で実施されています。運航乗務員や客室乗務員をはじめ、JAL社内の多くの部門の特別な理解と協力の上に成り立っている奇跡のプロジェクトだと思っています。ご負担をかけているにもかかわらず乗務員の皆さんは前向きで協力的であり、毎回頭が下がる思いです。搭乗中は常に乗務員の皆さんに負担をかけないようにと緊張の連続で、体力的にも厳しい観測ですが、この空域の大気を定期的に採取するという世界でも極めて希で貴重な観測をさせていただいていることを考えれば苦ではありません。今後も関係者の期待に沿える価値ある観測を続けて行きたいと思っています。

コラム「エコ操縦」を体感

2017年7月22日(土)の国立環境研究所の夏の大公開にJALの加藤義己機長が来所し、筆者を相手にトークショーをしていただきました(地球環境研究センターニュース2017年10月号)。その際に「次のMSE観測ではご一緒したいですね」との話が出ましたが、この約束が同年9月26日のパリ便のフライトで実現しました。加藤機長とは以前から報告会等で何度もお話をさせていただいた仲でしたが、操縦士としての加藤さんにお会いするのは初めてで、いつもの和やかな表情の奥で緊張した引き締まった気持ちでフライトに向かわれていることが感じられました。会話が弾んだのはもちろんですが、加藤機長とそのグループが取り組んでいる「エコ操縦」の一環として、エンジン始動をできるだけ遅くしたり、着陸後の移動で片方のエンジンを停止したり、駐機後にできるだけ早く補助エンジンを停止したりする操作を目の前で見ることができました。

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