RESEARCH2020年7月号 Vol. 31 No. 4(通巻355号)

旅客機で上空から都市を見る CONTRAILが捉えた都市圏からのCO2排出

  • 梅澤拓 (環境計測研究センター 動態化学研究室 研究員)

ラウンジの窓ガラスの向こう、日本航空機が滑走路へ入ってゆく。出力を上げたエンジン音が微かに届いてくる気がする。旅客機の機首が持ち上がり、滑走路を離れてゆく。尾翼を目で追いかける。機影は見る間に小さくなり、やがて空に消えてゆくその頃、乗客の足下、前方貨物室でひっそりと稼働するアルミの箱がある。空港からまだそれほど離れていない高度2000フィート(約600 m、名残を惜しんで街を見下ろす窓際の乗客の下で、このアルミの箱は何を捉えているのだろうか。

1. 旅客機観測CONTRAIL

温室効果ガス観測プロジェクトCONTRAIL(http://cger.nies.go.jp/contrail/)のもと、日本航空の複数の旅客機にはCO2濃度連続測定装置(Continuous CO2 Measuring Equipment: CME)が搭載されており、機体の運航に合わせて自動で観測を行っている。前述の通り、アルミの出前箱「岡持ち」のような大きさの箱に高精度のCO2濃度測定システムが収められている。

離陸後の旅客機は急速に高度を上げ、30分足らずで「高度一万メートル」がアナウンスされる。乗客が二度の食事と数本の映画を楽しんだ頃、目的地に近づいた旅客機は高度を落として着陸態勢に入ってゆく。

この間運転を続けたCMEは、出発空港上空での機体の上昇に合わせてCO2濃度を取得し、上空の巡航高度(高度10 km付近)では飛行経路に沿ったCO2濃度を取得、そして到着空港上空に向かう機体の下降に合わせてCO2濃度を取得する。出発空港と到着空港の2地点でCO2濃度の高度方向の変化(鉛直分布)を知ることになる。本稿の主役はこの空港上のCO2濃度の鉛直分布、特に離着陸前後の空港直上のそれである。

日本航空の国際線は、世界の主要空港を結んでいる。成田や羽田から、パリ、ニューヨーク、北京、モスクワ、ホノルル、デリー、ジャカルタ、シドニー。これらの空港はもちろん、主要都市の圏内または近郊にある。それはつまり、CONTRAILが必然的に世界の主要都市圏の傍で多数の観測を行ってきたことを意味する。

CO2観測のデータを理解するにあたって、このように都市の近くで観測することはどのような意味を持つだろうか。本稿では、空港周辺の観測データを利用した最新の研究結果の一端をご案内する。なお、本稿はCO2データ解析の詳細にやや力点を置いており(囲み記事も同様、研究の全体像については報道発表*1や出版論文*2をご参考頂きたい。

2. 都市とCO2排出

私たち人類の大部分は都市に暮らしている。日本の人口の93%、1億1800万人が都市部に住んでいる。世界では、人口の54%が都市部に住んでいる。都市部への人口の集中はアジアやアフリカなどの新興国で特に著しく進行しており、人口が1千万人を超える「メガシティ」の数も増えている*3

都市はまた、エネルギー消費の中心地でもある。化石燃料消費による世界のCO2排出のうち、およそ70%が都市部に起因すると言われている。繰り返すが、世界人口の54%を占める「都市民」が世界の70%のエネルギーを消費している。私たちの都市生活が気候変動問題に直結していることがイメージできただろうか。

3. 都市圏からのCO2排出の監視

国連気候変動枠組条約、パリ協定のもと、締約国はCO2を含む温室効果ガスの排出量を報告する義務を負っている。この報告は排出目録(インベントリ)を提出することで行われるが、そのインベントリをより高精度化するためには実際の排出影響を捉えた観測に基づく検証が必要である。

人為起源の温室効果ガス排出量を検証するには、どのような手法が効率的だろうか。排出量の大きな部分人為起源排出の約70%を占める都市圏から検証を進めるのは理にかなった考えだろう。大気観測結果にもとづいて都市圏の温室効果ガスインベントリを検証しようという試みが近年盛んに行われるようになった。このような研究は、パリやロサンゼルスなどを対象として欧米で先行し、各都市固有の排出の影響が捉えられるよう、都市圏を囲む観測ネットワークが構築された*4

都市圏の観測によって、温室効果ガス排出量の推定精度は全球レベルで本当に向上するのだろうか。インベントリの不確実性が大きいのは新興国である。したがって、先進国で始められた都市観測の研究手法を適切に新興国に持ち込み、より効果的な不確実性の低減を目指すことが本丸だろう。

国立環境研究所で展開する東京やジャカルタでの観測はこの方向性に沿ったものといえる*5。ところが、新興国での観測は大きな困難・コストが伴う。例えばアジアやアフリカは数十年前から温室効果ガス観測の「空白域」と呼ばれているが、政情不安や社会基盤の不備、現地政府の理解不足、人材不足など、様々な阻害要因によって観測が必要な地域に思うように観測拠点を増やせないのである。新興国の観測データを増やすことは、温室効果ガスの収支推定の精度向上に向けた重要課題であり続けている。

4. 東京大都市圏周辺のCO2濃度の分布

2017年4月頃、本研究の初期解析に取り組んでいた私は図1のような図を作っては眺めていた。地図の中心近くにある2つのダイヤは、左が羽田空港、右が成田空港である。羽田空港の北と西の方向には暗く塗られた東京大都市圏が広がっている。東京周辺の土地利用がわかるこの地図には、2015年2月にCONTRAILで観測されたCO2濃度の分布が重なっている。赤色ほど高度が低く、丸のサイズが大きいほどCO2濃度が高くなる。なお、以下の解析結果での「CO2濃度」は観測された濃度値そのままではなく必要な解析処理が行われている。関心があれば本文末尾の囲み記事もご覧頂きたい。

図1で、離陸した旅客機が空港付近の低い高度で高いCO2濃度を捉えた後、高度を上げるにつれてCO2濃度が低下してゆく様子、あるいは空港に向かって降下する旅客機が着陸直前に高いCO2濃度を捉えた様子がイメージできただろうか。同じ様な図を様々な時期や空港のデータで作っては眺めてみたが、やはり高いCO2濃度のデータは空港付近の低い高度に集中していた。空港付近の低高度でこのようなCO2濃度の増加が起こるのはなぜだろうか。

図1 2015年2月に東京上空で観測されたCO2濃度の分布。成田空港と羽田空港に離着陸したCONTRAIL機の鉛直分布データから描いた。赤色ほど観測機の高度が低く、円のサイズが大きいほどCO2濃度の増加が大きいことを示している。ここでは上空5 km付近の平均濃度からの差を図示している。

5. 空港上空のCO2濃度と風向・風速との関係

旅客機は飛行中に風向・風速・気温などを計測しており、これらの気象データはCONTRAILのCMEにも取り込まれる。この気象データを合わせて解析すれば、空港付近でCO2濃度が高くなる原因のヒントが掴めるのではないだろうか。

図2は、羽田空港と成田空港上空の高度1 km付近において、高いCO2濃度がどのような風向・風速で出現するかを示している。円の中心は風速毎秒ゼロメートル、外側に向かって風速は大きくなり、灰色の円の間隔が毎秒5メートル。上が北の風である。なお、北の風」とは北から風が吹いてくることを意味する。

両空港上空での第一の特徴は、赤色の高いCO2濃度が中心に集まっている、つまり高いCO2濃度が風速の比較的弱い時に出現することだろう。さらに、高いCO2濃度は図中の左側、西の風の時にやや出現しやすいことがわかる。

大まかにいって、羽田空港では風速毎秒15メートル、成田空港では毎秒20メートル以下で高いCO2濃度が観測されている。これは、観測地点がCO2の排出源に「かなり近い」ことを示している。風が弱いほど、排出されたCO2は排出源の近くに留まると考えられるためだ。逆に風の強い時には、排出源の上空が「換気」され続けるため、観測される空気のCO2濃度はそれほど増加しないと推測される。

では、CO2の排出源が「かなり近い」とは具体的にどのくらいの距離なのだろう。高いCO2濃度が出現しやすい風速「毎秒15メートル以下」がヒントである。

毎秒15メートルの風に乗れば、例えば1時間に54 km(15 m/s × 60秒 × 60分)進むことができる。この距離感を目安に、図1で羽田空港の周辺地域、特に高いCO2濃度が出現しがちな西寄りの方向を眺めてみよう(図1で経度方向1度の距離は約90 km東京都心を含む大都市圏に目が行っただろうか。

東京大都市圏の上空を通過する空気が都市域で排出されたCO2を溜め込んで羽田空港上空までやって来た、と考えると理解しやすい。この間に空気が都市上空に滞在する時間が長い、つまり風速が弱いと、都市域のCO2排出は上空の空気中により蓄積されやすくなるだろう。逆に風が強いと、都市域のさらに風上から来た低いCO2濃度の空気が都市のCO2排出を溜め込む間もなく東京大都市圏を通過してしまう。

羽田に比べて成田空港ではやや大きな風速でも高いCO2濃度が観測されているが、これは羽田空港より大都市圏から離れているためである。郊外にある成田空港までは、ある程度風速が大きい方が都市圏からの排出を捉えた高いCO2濃度の空気が運ばれやすくなるのだろう。

CONTRAIL機の訪れた世界の36空港について、図2を作って図1と比較することを同様に行った。空港離着陸時の飛行経路つまり観測地点は近隣の大都市圏に対してどのような位置にあるのか。東京と同じように、大都市圏から風が吹いて来た時に高いCO2濃度が観測されているのだろうか。

その結果、都市圏の南西にあるモスクワ・ドモジェドヴォ空港、西にあるミラノ・マルペンサ空港、北東にある北京首都国際空港、東にあるシドニー国際空港など、多くの空港で高いCO2濃度が出現しやすい風向が特定でき、その風の吹いてくる方向は近隣都市圏が位置する方向と一致していた。

図2 羽田空港(左)と成田空港(右)上空の高度1 km付近での風向・風速とCO2濃度との関係。CO2濃度の季節変動からの差を取り、その風向・風速別の最大値が色で図示されている。

6. 都市圏から排出されたCO2はどのように蓄積されるのか?

都市圏近郊の空港上空において高いCO2濃度が観測される時、空港を含めた都市圏周辺でのCO2濃度の分布はどうなっているのだろう。これを把握することは、実際に都市圏からのCO2排出量を正確に推定するために非常に重要である。本研究では各都市別に排出量推定を行ったわけではないが、旅客機に搭載されたCMEが都市圏からのCO2排出をどのような状況下で捉えているかを具体的に考えておく必要がある。

図3を見てみよう。CONTRAILによる観測が行われる状況を簡略化して描いてみた。都市圏がCO2の排出源ならば、その周辺に高いCO2濃度の空気の領域ができる。灰色で示したCO2の高濃度領域の広がりは、その都市圏においてCO2の排出源が地理的にどのように分布しているかと関係すると考えられる。

また、排出されたCO2が都市圏の上空大気にどのように広がるかは気象条件にも左右される。一般に地表付近の高度1–3 kmまでは地表排出源の影響が速やかに伝わりやすく、大気混合層と呼ばれる。排出源の直上の大気混合層上端まで高濃度のCO2が伝搬したとして、さらにそれが水平方向に風で流されると、風下へと高濃度CO2領域が広がってゆく。このような高濃度CO2領域やそれが風で流されて風下に形成される高濃度CO2領域は、CO2ドーム」や「CO2プルーム」と呼ばれる。

CO2ドームやプルームの広がりは世界の都市圏ごとに様々であること、さらにそれを旅客機で観測する場合にはフライト時の気象条件によって観測結果に変動が生まれることが想像できただろうか。図3では旅客機観測をイメージしやすいように、空港が都市圏の風上にある場合と風下にある場合を描いている。航空機は一般に向かい風で離着陸するため、この図は代表的な離着陸の場合をカバーしており、同じ空港であってもこのような観測状況の違いが起こり得る。

風下にある場合、空港は近郊都市圏のCO2プルームの中に入りやすく、離着陸の際の地表付近で高濃度CO2を観測しやすい(aとc。風上にある場合、空港付近はCO2プルームの外側にあり、地表付近で高濃度のCO2が見られることは稀だろう(bとd。なお、羽田空港や成田空港の場合、一般に年間を通して西風が卓越しているので、東京大都市圏の風下に位置することが多い。一方で、夏の日中など太平洋側から風が吹き込むような場合には、地表付近でも比較的低いCO2濃度をCONTRAILでも多数観測している。

図3 都市圏付近の高濃度CO2領域の広がりと旅客機での空港付近での観測状況のイメージ図。

7. 旅客機観測の利点とは?

本研究によって、旅客機観測CONTRAILの空港付近データを解析することで都市圏上空のCO2ドームやプルームを把握できることがわかってきた。このデータを有効に活用すれば、CONTRAIL旅客機が就航する様々な都市からのCO2排出量の監視にも役立つだろう。

前述のように、世界のいくつかの都市では、地上観測を利用したインベントリの検証が試みられている。その基本はやはり信頼できる観測データの取得である。

民間旅客機を利用した観測は、新興国での様々な観測の困難さとほぼ無縁であることを強調しておきたい。地上観測は現地特有の課題に悩まされるが*6、CONTRAILでは現地に空港さえあれば、旅客機に搭載された観測装置がデータを持って帰ってきてくれる。観測機器は「母国」CONTRAILの場合はもちろん日本)でメンテナンスが可能なので、観測データの質が現地の社会基盤等の水準に翻弄されることもない。したがって、旅客機観測は温室効果ガス観測データの「空白域」の問題に対する有効な解決策の一つといえる。

もちろん、旅客機の運航計画に従うため観測地点を自由に選べない、観測機器に厳しい搭載制限がある、など旅客機観測ならではの制約はあり、それらも考慮の上で適切に地上観測と組み合わせてゆくことが肝要だろう。とはいえ、日本航空や関連企業との良好な関係をもとに、CONTRAILという観測プラットフォームが10年以上*7にわたって維持されていることは何よりも驚くべきことであり、この世界的にも稀有なデータを利用して新たな研究成果に繋げられたことを嬉しく思う。