日経エコロミー 連載コラム 温暖化科学の虚実 研究の現場から「斬る」!

国立環境研究所 地球環境研究センター 江守正多

第2回 温暖化対策目標は「科学的に」決まるか?

2009年3月19日

こんにちは、国立環境研究所の江守正多です。第1回のコラムには多くの読者の方から反響を頂き、ありがとうございました。ただ、「江守さんは孤軍奮闘していてたいへんですね」と御心配を頂くことがありますが、それは違うのです。「エネルギー・資源学会」メール討論の「謝辞」を見て頂ければわかるように、実際には多くの専門家と協力して対応しています。僕は、大勢いる「IPCC支持派」を代表して発言する役をたまたま受け持っただけですから。

実は、「エネルギー・資源学会」の企画には延長戦がありまして、3月5日から学会ホームページで公開になっています。前回ほとんど登場されなかった論者の本格参戦もあり、実にエキサイティングな展開になっておりますので、ぜひご覧頂きたいと思います。

その解説も書きたいところですが、今回はもっと大事なことがありますので、それは後回しにします。もっと大事なこととは何かというと、現在議論が盛り上がっている、温室効果ガス削減の日本の中期目標に関することです。ご存じのように、京都議定書第一約束期間後(2013年から2020年まで)の中期目標を各先進国が発表している中、日本は6月までに発表するとして検討を続けています。

この件でひとつ思い出すことがあります。昨年の9月に、英国のある著名な気象学者から僕宛にメールがきました。彼は英国の気候変動委員会のメンバーで、英国の削減目標を再検討するため、世界各国の最新の気候シミュレーション結果を集めており、日本の最新結果があったら見せてくれないか、とのことでした。このとき僕は非常に感心して、「なるほど、英国は削減目標の検討にあたって気候シミュレーションの科学的な議論にまで立ち戻るのだな。しかも、世界の最新の結果をかき集めて検討するとは、気合いが入っているな」と思ったものです。

日本の中期目標はどうやって決まっている?

日本では、首相官邸の「地球温暖化問題に関する懇談会」の下に「中期目標検討委員会」が設置され、昨年11月から検討が始まっています。

ここでの検討は主に国内の削減可能性や削減コストの話で、気候の科学にまで立ち戻った話は出ない様子でした。これは、日本の場合、洞爺湖サミットの首脳宣言で掲げた「2050年までに世界の排出量を半減」という目標が、閣議決定された「低炭素社会づくり行動計画」でも前提になっていますので、良くも悪くもそれが政策上の前提として固定されているのだろうな、というのが僕の解釈です。

「2050年世界半減」のような目標を政治決断としてエイヤッと決めてしまい、それを前提に具体的な議論を進めるという現実的なやり方は、僕は必要だと思います。しかし一方で、このような目標は常に最新の科学の目で検討され直し、必要ならば修正されるべきであると思います。日本の中期目標検討委員会でも、この前提そのものに関わるような議論が多少出てきているようです。

そこで以下では、このような温室効果ガス削減目標と気候の科学との関係を整理してみたいと思います。その際に鍵となるのは、IPCC第4次報告書統合報告書の表SPM.6の意味を正しく理解することです。

表SPM.6TAR以降の安定化シナリオの特徴、及びそれに伴う長期的な世界平均平衡温度、熱膨張のみに由来する海面水位上昇{表5.1}

カテゴリー CO2平衡濃度 (b) (2005年=379ppm) 温室効果ガス平衡濃度 (CO2換算) (エーロゾル含む) (b) (2005年=375ppm) CO2排出がピークを迎える年 (a, c) 2050年におけるCO2排出量 (2000年比) (a, c) 気候感度の“最良の推定値”を用いた産業革命からの世界平均気温上昇 (d, e) 熱膨張のみに由来する産業革命前の値と比較した世界平均海面上昇 (f) 研究されたシナリオの数
  ppm ppm 西暦 % m  
I 350–400 445–490 2000–2015 −85〜−50 2.0–2.4 0.4–1.4 6
II 400–440 490–535 2000–2020 −60〜−30 2.4–2.8 0.5–1.7 18
III 440–485 535–590 2010–2030 −30〜+5 2.8–3.2 0.6–1.9 21
IV 485–570 590–710 2020–2060 +10〜+60 3.2–4.0 0.6–2.4 118
V 570–660 710–855 2050–2080 +25〜+85 4.0–4.9 0.8–2.9 9
VI 660–790 855–1130 2060–2090 +90〜+140 4.9–6.1 1.0–3.7 5

注釈:

a)
炭素循環フィードバックが扱われていないため、ここで評価された特定の安定化レベル達成に向けての排出削減量は過小評価されている可能性がある。(主題2も参照)
b)
大気中CO2濃度は2005年時点で379ppmであった。2005年における長寿命の温室効果ガスのすべてを対象とした、CO2換算濃度の最良の推計値は約455ppmである。すべての人為起源の放射強制力の正味影響を含んだ対応値はCO2換算375ppmである。
c)
第三次評価報告書以降のシナリオの分布における15パーセンタイルから85パーセンタイルに相当する範囲。CO2排出量を示しており、このため、マルチガスのシナリオでもCO2のみのシナリオと比較可能となる。(図SPM.3参照)
d)
気候感度の最良の推計値は3℃
e)
気候システムの慣性のため、平衡時の世界平均気温は、温室効果ガス濃度の安定化時に予想される世界平均気温とは異なることに注意。評価したシナリオの大半は、温室効果ガス濃度の均衡が2100年から2150年までの間に起きるとしている(*9も参照)。
f)
平衡海面水位上昇の値は海洋の熱膨張からの寄与のみを反映しており、少なくとも数世紀間に平衡状態に至らない。この値は、比較的単純な気候モデルを用いて推計された(1つの低解像度AOGCMといくつかのEMICsを使用し、気候感度は最良の推計値3℃を使用した)もので、氷床や氷河、氷帽の融解による寄与は含まない。長期的な熱膨張は、世界平均気温の上昇が産業革命以前の気温に比べて1℃上回る毎に、0.2〜0.6mの海面水位の上昇をもたらすと予測されている。(AOGCMは、大気海洋結合モデル及びEMICsをさす。)

そもそもこの表は何かというと、対策シナリオの研究論文を集めてきて、IPCCがそれを6つのカテゴリーに整理したものです。つまり、IPCCは科学的な知見を整理して、「何ppmに安定化させるなら、何%くらい削減が必要で、そのとき気温は何℃くらい上がりますよ」というメニューを用意しただけなのです。そしてIPCCの報告書には、「このうちのどのカテゴリーを目指すべき」とは一言も書いてありません。

これはIPCCの本質にかかわる重要な点です。IPCCは政策に関わる科学的な情報を整理して提供しますが、政策判断そのものは行いません。

6つのカテゴリーのうちどれを目指すかは、温暖化のリスクをどこまで許容するか、対策のコストをどこまで許容するか、といった社会的、政治的な判断が必要になります。もちろん、これを科学だけによって決めることはできません。そして、洞爺湖サミットの「2050年世界半減」は、実際に政治的判断により選択された目標の一例とみなすことができます。この目標はIPCCのカテゴリーでいうとIとIIの中間くらいに相当します。

たまに、「IPCCの科学的要請に基づき、2050年までに世界で50〜80%削減すべき」あるいは(IPCCの別の表を参照して)「2020年までに先進国は25〜40%削減すべき」といった記述を目にすることがありますが、この文の先頭には「もしもわれわれがIPCCのカテゴリーIを目指すとするならば」あるいは「もしもわれわれが長期的な気温上昇を2℃程度に抑えようとするならば」といった前提が隠れていますので、注意してください。

温暖化が進みやすくなる「炭素循環フィードバック」とは

次に、この表には注釈がたくさんついていますので、そのうち重要なものをいくつか解説しましょう。まず、この時点の研究には「炭素循環フィードバック」が考慮されていないと書いてあります。

炭素循環フィードバックというのは、温暖化が進むことによって地球がCO2を吸収する能力が弱まってしまい、さらに温暖化が進みやすくなるという効果です。実際の地球にはこの効果があるため、5列目の削減の数字はこの表に書かれているよりも厳しいものになるかもしれません。

2点目に、「温室効果ガス安定化濃度」として3列目に示されている数字は、メタンなどCO2以外の温室効果ガスの影響をCO2に換算した数字ですが、さらにエアロゾル(表中では「エーロゾル」と表記)の冷却効果を含んでいる点に注意してください。エアロゾルとは大気中に浮遊する微粒子のことです。機会があれば詳しく説明したいと思います。

最後に、6列目の産業革命からの世界平均気温上昇に注目してください。ここについては大事なことが2つあります。ひとつは、この数字は「平衡時」の値ということです。平衡時の値とは、数百年後に気温上昇が最終的に止まったときの値です。

どういうことかというと、温室効果ガスの増加が止まった後にも、海がゆっくり暖まるため、気温は数百年にわたってじわじわと上がります。平衡時の値とは、その最後の温度なのです。したがって、たとえば平衡時に3℃上昇する場合でも、2100年にはその値の6〜8割程度、つまり2〜2.5℃程度の上昇に留まります。

もうひとつは、温室効果ガス安定化濃度と平衡時の世界平均気温上昇の関係には、実はその表の値よりももっと大きな科学的な不確かさがあるということです。

CO2が現在の倍になったときの平衡気温上昇は3℃である可能性が最も高いと科学的に推定されており、表の値はこれに基づいています。しかし、この推定には「66%の確率で2〜4.5℃」という誤差幅がついています。

つまり、運がよければ2℃程度かもしれないし、運が悪ければ4.5℃程度かもしれません。この幅に基づいて僕のグループで試算したところ、平衡気温で3℃を超える可能性がカテゴリーIでも25%程度、カテゴリーIIで40%程度あることになりました。

なんだか話をどんどんややこしくしてしまいましたが、科学的な情報に基づく政治判断は、これらを誤解なく踏まえた上で行われてほしいものです。ちなみに、先ほど触れた英国の気候変動委員会が昨年12月に出した報告書では、これらの点をすべて踏まえ、「2100年時点の気温上昇が2℃を超える可能性が50%程度以下、4℃を超える可能性が非常に小さくなる目標にすべき」という基準を設けた上で、最終的に「2050年世界半減」が妥当としています。ただし、この「基準」の部分には科学だけでは決まらない判断が含まれていることに注意してください。

以上は世界の長期目標についてでしたが、現在議論されている日本の中期目標については、さらに、どのようなスケジュールで長期目標に到達するか、国毎の責任分担をどう考えるか、日本の目標が国際交渉に与える影響をどう分析するか、といったことを含めて総合的に検討して判断がなされる必要があるでしょう。これらについて僕自身の意見を言うことは差し控え、多くの人が納得する判断がなされることを祈るに留めたいと思います。

では、今回はこのあたりで。次回はおそらく、一部で話題になっている「地球は当面寒冷化?」問題をとりあげます。お楽しみに。

[2009年3月19日/Ecolomy]

第3回 「地球は当面寒冷化」ってホント?