CGER-I163-2023_計算で挑む環境研究
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ションではたくさんの方程式を連立させて解く必要がありました。 また、多くの場合、再現したい現象は時々刻々と変化し、方程式から一意に解を得られるものではありません。その場合は、時間発展する連立方程式に実際に数値を代入して、次の時刻の状態を順次計算するという方法をとらざるを得ません。そのため、科学の世界でシミュレーションといえば数値シミュレーションであるし、イコール数値計算を指すことが一般的です。 最初のシミュレーションは、人間が紙と鉛筆または手回し式の計算機を使って行われ、たとえば航海の進路や、天体の運行、砲弾の軌道を推定していました。17世紀から1970年代までは、このような計算を行う人の職業を「コンピュータ(計算手)」と呼んでいたそうです。 かつてNASAで伝説的計算手として働いていたキャサリン・G・ジョンソンさんらを題材にした「ドリーム(原題:Hidden Figures)」という映画が2016年に公開されています。ご興味のある方は是非ご覧ください。1970年代初頭の宇宙開発を支えていた計算手という職業、そして「コンピュータ(計算手)」と「コンピュータ(IBM)」が入れ替わろうとしていた時代が垣間見えると思います。 気象学では、イギリスの気象学者ルイス・F・リチャードソンが第一次世界大戦中に、ヨーロッパ中央部の気圧の予報を試み、ひとりで6週間かけて6時間先の値を得たそうです。この時の結果は方程式にまだ科学的な理解が進んでいなかったという不備があり、残念ながら現実的な気圧の再現には至りませんでしたが、リチャードソンは1922年の著書(写真1)で、巨大な劇場に何万人もの計算手を集めて気象計算を行えば気象予報は可能になる、と提案しました。これは「リチャードソンの夢(Richardson’s Fantasy)」として有名です。 電気で動く現代のコンピュータに近いものが登場したのは、第二次世界大戦後の1946年、なかでもENIAC(Electronic Numerical Integrator and Computer、写真2)が有名です。このENIACを用いて、気象学者のジュール・G・チャーニーらが数学者ジョン・フォン・ノイマンと協力し、北米領域の気象予報を成功させました。リチャードソンの試みから30年後、気象学と電子計算機の両方が発展した結果であり、今から70年前のことです。 それからわずか10年で、電子計算機は各国の気象機関に次々と導入され、

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