OPINION2023年3月号 Vol. 33 No. 12(通巻388号)

国連の取組みから50年経った地球環境の今

  • 加藤三郎(環境文明研究所 所長/NPO法人環境文明21 顧問)

50年ほど前、国連で最初の地球環境・・・・会議とも言える「人間環境・・・・会議(ストックホルム会議)」(1972年)がストックホルムで開催された。私はこの会議に、政府代表団の一員として若手ながら参加する機会を得、当時日本で大問題となっていた産業公害対策へのアプローチとは違った幅広い視点で地球環境問題を捉えることの重要性を学んだ。この会議は「人間環境宣言」を取り纏めたが、この宣言は国際社会が地球環境対策を進める上で今でもそのまま通用する理念と原則を明確に示している。更に同会議は、UNEP(国連環境計画)という組織を新設することも決定した。

「人間環境会議」には、当時の国連会合としては珍しく、NGOやメディアも多数参加して世界的にも注目され、これで地球環境問題への対策の機運と方向付けができたと高く評価された。その後、オゾン層の破壊、地球温暖化、生物の多様性と個体数自体の急減などが次々と問題になったことに伴い、ストックホルム会議をアップデートする形で、「地球サミット」(1992年)*1、「地球温暖化京都会議(COP3)」(1997年)*2、「ヨハネスブルグサミット」(2002年)*3、「パリ会議(COP21)」(2015年)*4、最近ではエジプトで開催されたCOP27などの大型の国連会合が相次いで開催され、条約、議定書、協定の採択、そしてCOP27では途上国向けの対策基金の造成も、実質的には世界中のすべての国が採択し、実行を約束した。

しかし最初の「人間環境会議」から50年経った今、世界の環境問題を見渡すと、いくつかの例外はあるが、ほとんどすべての面で環境破壊が進み、気候や生物などが危機に瀕しているのが現実だ。世界の政府や有識者が対策の推進を誓ったにもかかわらず、なぜ人間社会はこれほどの危機の進行を許してしまったのか。その原因はどこにあるのだろうか。

1. 地球環境の破壊を止められなかった経済優先主義

ストックホルム会議は、当時の人類社会の英知を絞り、産業革命以来の都市・工業文明により深刻化の兆しを見せ始めた地球環境問題への処方箋を間違いなく提示した。人類史上、第一歩を踏み出した画期的な出来事だと将来も記憶されるだろう。

しかし50年後の現実は、ストックホルム宣言の前文で「われわれは歴史の転換点に到達した。いまやわれわれは世界中で、環境への影響に一層の思慮深い注意を払いながら、行動をしなければならない。無知、無関心であるならば、われわれは、われわれの生命と福祉が依存する地球上の環境に対し、重大かつ取り返しのつかない害を与えることになる」と危惧した通りの事態となった。この間、政治も企業も人々も、環境対策に取り組まなかったわけではない。いや、石油による海洋汚染、オゾン層の破壊などいくつかの事象に対してはかなりの成果を上げた。ただエネルギー、鉱物、資源、気候、生物、微小な化学物質、プラスチックなどの社会のコアな問題は、年々深刻の度を強め、悪化を止める効果的な対策を社会はまだ取り得ていない。何故なのだろう。私の経験と考察から、その主要な要因を次表に示してみた。

表1 なぜ地球環境の危機が進行するのか?
(1)世界人口の激増 約38億人(1970) ⇨ 80億人(2022) <2.1倍>
(2)世界の経済規模の拡大 GDP:約38兆㌦(1990) ⇨ 約83兆㌦(2018) <2.2倍>
(3)経済の構造と質の激変 経済力のある新興国(中、印など)の登場と格差拡大
東西冷戦後のグローバル資本主義の進行によるヒト、モノ、カネの自由な移動と「弱肉強食」化
(4)豊かさ、利便性、快適性への欲求の膨張で環境容量超過 地球環境の有限性の無視、無関心
環境科学に対する不信や妨害
科学技術を駆使した欲求の追求

端的に言えば、社会全体として、経済的な豊かさと利便性・快適性を求める人々の心と行動が、環境を護る意欲をはるかに凌駕し続けていたからと私には思える。現にストックホルム会議の翌年10月にサウジアラビアなどOPEC諸国が石油価格を大幅に引き上げると(第一次石油危機)、世界は騒然となり、政治もメディアもストックホルム精神は放り投げて、石油危機対応一色になってしまった。その後、今日でもコロナやウクライナ危機による燃料価格の高騰があるとすぐに同様の対応が続き、経済対策に走るのが通例である。要するに「経済」への欲求が「環境」配慮を遥かに上回っていたのだ。

100年前の世界なら、人間がいくら欲張って行動しても、地球環境はその負荷を呑み込んでしまえる余裕があった。しかし近年の信頼すべき環境科学が示すところでは、そのような経済優先でも環境上の辻褄があっていたのは1970年代(丁度、ストックホルム会議の頃)くらいまでのことで、世界も日本も、ひたすら経済成長に励んで50年を過ごしてしまった。もちろんこの間、環境の危機を本気で心配する研究者、NGO/NPO、政治家、企業人、市民など、決して少なくない人々がそれなりに頑張り、京都議定書やパリ協定の実行、生物多様性の保護など、精一杯努力しているが、社会全体としては相変わらずの経済優先基調で、これまでのところ変わっていない。

この間の事情を日本について見ると、初期の気候変動対策では先進国らしく前向きに貢献したが、このスタンスは今世紀に入ると空気の抜けた風船のようにしぼんでしまった。なぜそうなったかについては慎重な検討を要するが、私見では、①70年代の公害防止や石油危機乗り切りなどの成功体験によるおごりや油断、②2009年の民主党政権誕生後の混乱、③2011年の東日本大震災と東電原発事故への対応などにより、日本全体が内向きになったこと、そして④2012年末に第二次安倍内閣が発足すると、「アベノミクス」最優先となり、温暖化対策は日本経済に悪影響を与えるという一方的な考えにより、日本の気候変動政策のプライオリティが終始低迷してしまったことがあろう。海外のオブザーバーは日本の気候変動問題への努力不足を厳しく指摘し、国内でも「周回遅れ」や「先進国の責任はどこに」などの厳しい評価が、専門家の間では長いこと定番になってしまったのは、今や周知の事実である。

2. 「経済合理性」よりも「環境合理性」の日常化

言うまでもないことだが、私は「経済」を目の敵にしているわけではない。人が生きるためには、水・食物、医療、住む家も欠かせず、それらを滞りなく供給するためにはしっかりした経済システムが不可欠だ。しかし、その経済システムから発生する環境負荷を吸収する自然環境は、もはや容量一杯になってしまったことは科学が明らかにしている。だから経済活動で、それ以前のような行け行けドンドンは不可能になったことを、少なくとも政治や経済のリーダーは理解する必要がある。現在、世界中の国が「脱炭素」や「資源循環」、さらに「生物保全」などの政策を掲げざるを得なくなったのはそのためだ。

私たちは長いこと経済合理性を尊重し、それが今や価値観の中核を占めていると言ってもよいだろう。簡単に言えば、同じような商品をA店では1000円なのにB店では800円だとすると、B店で買うのが経済的に合理的と考え、そう行動してきた。しかしこれからは、B店の800円の商品の生産・流通・消費から廃棄に至るすべての過程で発生する環境負荷がA店の商品より大きいとしたら、A店の商品を買うという「環境合理性」を身に付けなければ生き残れない時代になったことを理解し、そのために生き方、経済の回し方を転換し、それを常識化・日常化する必要がある。

この「環境合理性」を体現した社会は、私たちがかねてより提唱している「環境文明社会」であり、特に経済や技術のグリーン化と教育の改革がポイントである。その中身とそこに至る道筋は、拙著『危機の向こうの希望』(2020年)においてもかなり詳しく記述しているので、ここでは重複を避けるが、取り急ぎ次の二点を強調しておきたい。

その一つは、私たちが関わる生産・流通・消費・廃棄等の各プロセスで発生する環境負荷(とりあえずはCO2発生量)の適切で簡便な推計法の確立と普及である。これがないと、行動Aと行動Bの環境合理性を正しく比較できない。これには国立環境研究所が果たし得る役割があるのではなかろうか。

もう一つは、環境危機時代を正しく生きる私たちの心得ないしは価値観の常識化、日常化だ。幸い、その中身については、NPO法人環境文明21の倫理部会が2022年2月に公表した「『脱炭素』時代を生きる覚悟と責任」の6項目(有限の認識、抑制する知恵、循環の工夫、共存する喜び、利他の心、公正の確保)がある。このような知恵の共有が、環境合理性を支える基盤となろう。そのためにも、一般市民や企業人に環境危機の実態、対処法などについて、わかりやすく伝達する必要があり、ここでも研究者や将来を担う若者、更に私たち市民相手のNPOが協働して役割を果たせるのではなかろうか。

写真1 国連人間環境会議(1972, ストックホルム)(出典 UN Photo/A general view of the opening meeting of the Conference at the Folkets Hus.)。
写真1 国連人間環境会議(1972, ストックホルム)(出典 UN Photo/A general view of the opening meeting of the Conference at the Folkets Hus.)。