2011年11月号 [Vol.22 No.8] 通巻第252号 201111_252006

環境研究総合推進費の研究紹介 8 排ガスをリアルタイム計測法でさばく 環境研究総合推進費S2-06「PTR-TOFMSを用いたディーゼル車排ガス中ニトロ有機化合物のリアルタイム計測」

地球環境研究センター 地球大気化学研究室 主任研究員 猪俣敏

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1. S2-06の概要

ディーゼルエンジンは、熱効率が高くCO2排出量が低いという特徴をもつ一方、粒子状物質(Particulate Matter: PM)および窒素酸化物(NOx)を多く排出するため、大気汚染や健康影響の観点からPMおよびNOxの排出量の大幅削減が強く求められている。そこで、燃焼技術、後処理技術、燃料・潤滑油性状の改善といったディーゼル排ガス低減技術の取り組みがなされている。しかしながら、最新の報告では、後処理装置の部分で人体に有害と考えられるニトロ有機化合物の予期せぬ生成の可能性が示唆されている。その生成はエンジンの稼働状況・運転条件に大きく依存するものと考えられ、排ガス中のニトロ有機化合物の排出状況に関するデータを収集するには、秒のオーダーでの濃度変化をリアルタイムに計測することが必要である。

本研究では、サブテーマ1(国立環境研究所グループ)で、ディーゼル車排ガス中のニトロ有機化合物の多種類をリアルタイムに測定する装置として、高質量分解能陽子移動反応–飛行時間型質量分析計(PTR-TOFMS)を用い、ニトロ有機化合物の排出特性(種類・[全]量・性状)を把握する。サブテーマ2(広島大学大学院のクループ)は、挑戦的研究として、質量分析法に分光手法を組み合わせた、新規の選択的なニトロ有機化合物のリアルタイム計測手法の確立を目指している。

図に、本課題の背景・研究内容・達成目標をまとめている。研究体制は、サブテーマ1:猪俣敏・谷本浩志(地球環境研究センター)・佐藤圭(地域環境研究センター)・今村隆史・伏見暁洋(環境計測研究センター)・藤谷雄二(環境リスク研究センター)、サブテーマ2:高口博志(広島大学大学院)である。また、本課題は、分光法を用いた排ガスのリアルタイム計測装置の開発を行う環境研究総合研究費S2-05「超高感度分光法によるニトロ化合物のリアルタイム検出器の開発」(課題代表:山田裕之[交通安全環境研究所])と協力して実施している。

fig. S2-06課題

S2-06課題の背景・研究内容・達成目標

自動車から大気中に排出される排ガスは、直接的に人の健康に悪影響を及ぼすだけでなく、酸化過程を経て、いわゆる二次有機エアロゾルという粒子状物質の生成にも寄与する。二次有機エアロゾルは、気象場の変化による水循環等への影響や将来の気候に影響を及ぼすことが懸念されている。将来の気候影響等を定量的に評価していくには、二次有機エアロゾルの化学組成、放射特性、吸湿特性を把握しておく必要がある。本課題では、ディーゼル車排ガスでこれまでほとんど計測されてこなかったニトロ有機化合物を定量的に把握することができるようになった。これらの新しい知見は、自動車からの一次放出もしくは二次生成される粒子状物質が気候等に与える影響を評価する上での重要な情報となると考えられ、このような方向に研究を発展させていきたいと思っている。

2. リアルタイム計測が捉えたニトロ有機化合物の排出特性

本研究で用いた陽子移動反応質量分析法(PTR-MS)は、化学イオン化質量分析法の一種で、イオン化に陽子移動反応イオン化反応というソフトイオン化を利用している。試薬イオンにH3O+イオンを用い、一般的な有機化合物(M)の陽子親和力は水の値より大きいので、陽子が有機化合物のほうに移動する性質を利用したもので、有機化合物MがあるとMH+イオンとして検出される。逆に、イオンシグナルが検出されたら、質量数からマイナス1したものが、元の有機化合物の分子量であることがわかる、といった原理のものである。陽子移動反応イオン化反応式は下記の通りである。 H3O+ + M → MH+ + H2O PTR-MSは、大気中の有機化合物の多種類を高速にかつ高感度に測定する手法として、実計測に用いられている。

排ガス中にはさまざまな有機化合物が含まれている。そのため、PTR-MSで検出されるイオンシグナルは膨大である。如何にPTR-MSが有能であろうと、それら全てを帰属・定量することは不可能である。しかし、ニトロ有機化合物に限定すれば、たくさんの有機物のシグナルの中から、ニトロ有機化合物だけのシグナルを取り出すことができる。ここが本研究のキーとなるポイントである。一般の有機化合物は分子量が偶数なのでMH+イオンシグナルは奇数に現れるのに対し、(モノ)ニトロ有機化合物は分子量が奇数なのでMH+イオンシグナルは偶数に現れる。つまり、偶数のイオンシグナルを追いかければ、ニトロ有機化合物を捉えることができることになる(注意:一つ前の奇数の一般の有機化合物のイオンシグナルの13Cの寄与は考慮して差し引かなければいけない)。

現在、新短期規制適合車(酸化触媒付き)のディーゼル車Aのシャシーダイナモメータ実験において、ニトロ有機化合物として、ニトロメタン、ニトロフェノール、C7-C10ニトロフェノール類、ジヒドロキシニトロベンゼンがガス状で排出されていることを捉えた。また、これらの濃度は、過渡走行モード試験中、ppbvからサブppbvしかないが、サブ秒での時間変化の様子を捉えることもできている(1ppbvは体積混合比が10億分の1であることを表す)。このような高時間分解データから、ニトロ有機化合物の排出の走行速度・加速度依存性や暖機始動走行時・冷機始動走行時の違いなどを捉えることに成功している。さらに、今後、ニトロ有機化合物の排出の低減が必要となった際、どこでの排出を抑えればいいのかといったような貴重なデータとなると考えられる。

3. ニトロ有機化合物排出の全体像を把握

PTR-MSではニトロ有機化合物のイオンシグナルを抽出して捉えたため、ガス状のニトロ有機化合物の排出に関して知見を得ることができた。一方で、ニトロ有機化合物は粒子状でも排出されていることが知られている。粒子中に含まれるものは難揮発性のものであることが予想される。また、ガス状で見られたものも半揮発性のものはあるので、粒子中にも存在すると考えられる。本研究の成果を健康影響へリンクさせていくには、ガス状と粒子状で、どのようなニトロ有機化合物が、その程度の量が排出されたか、をまとめていく必要があると考えている。前出のディーゼル車Aについては、ガス状に関してはPTR-MSのデータ、粒子状に関しては、フィルター捕集後、液体クロマトグラフィー質量分析法(LC/MS)、加熱脱着-ガスクロマトグラフィー質量分析法(TD-GC/MS)分析によって得られた結果で、ニトロ有機化合物排出の全体像をまとめた。特に、ニトロフェノールについては、ガス状・粒子状ともに定量され、粒子/ガス比は約2%であった。このような濃度比での排出に対し、ガスでの吸引が健康に影響があるのか、あるいは少量でも粒子として取り込むほうが影響があるのか、このような視点からの健康影響に関する研究を望んでいる。計測の立場からは、このようなまとめを、車種や走行モードを変えて、データを蓄積していくことが今後必要と考えている。

ニトロフェノールについては、ガス状にも粒子状にも検出された。ガス状での排出特性に関してはPTR-MSによる時間分解データで明らかになったが、では、粒子状では、どういう時に排出されているのであろうか? ガス状として存在するときに粒子状としても排出されているのであろうか? 粒子状としてしか存在しないものは、どういう時に排出されているのであろうか? このような情報は、ガス状のものと同様に重要なデータである。粒子中の有機成分の一つひとつをリアルタイムで捉えるということはかなり難しいことではあるが、最終年度の今年度取り組んでいるところである。

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