日経エコロミー 連載コラム 温暖化科学の虚実 研究の現場から「斬る」!

国立環境研究所 地球環境研究センター 江守正多

第7回 「朝まで生テレビ!」の「温暖化 vs 寒冷化」討論

2009年10月26日

こんにちは、国立環境研究所の江守正多です。世間では政権交代の嵐が吹き荒れていますね。温暖化といえば、1990年比25%削減の中期目標をどうやって達成するんだ、という大議論が始まっています。それはさておき、僕のコラムではマイペースに科学の話をしたいと思います。

劇的な政権交代をもたらすことになった衆院選のまさに直前、8月28日深夜に、討論番組「朝まで生テレビ!」が「激論!ド~する?!地球温暖化」をテーマに放送されました。僕はその中で、東京工業大学の丸山茂徳さんと、「温暖化 vs 寒冷化」という討論をすることになりました。今回はそのことを振り返ってみたいと思います。

そもそも、僕は今世紀の気候予測について「温暖化 vs 寒冷化」というまともな科学的論争があるとは思っていませんが、テレビのいわば「出し物」のつもりで、仕方がなくその枠組みに乗って議論をしました。丸山さんが「寒冷化説」、僕が「温暖化説」です。丸山さんには中部大学の武田邦彦さんが、僕には東北大学の明日香壽川さんがセコンドに付くような形になりました。

司会のお馴染み田原総一朗さんは、武田さんと丸山さんの共著本(『「地球温暖化」論で日本人が殺される!』)の解説を書いています(田原さんは「私は科学的に何が正しいかわからないが、世の中が全員で一方方向に進むのは危険な気がする」といった趣旨の、ある意味無難な解説をされていました)。そのせいかわかりませんが、前回僕が同番組に出たときに比べると、田原さんがいわゆる「懐疑論」にやや同調的だった感じがしました。

さて、せっかくなので、僕は前から感じていたあることをここで言おうと思って用意していきました。それは、いわゆる「懐疑」には「健全な懐疑」と「不健全な懐疑」があるということです。

「健全な懐疑」は、科学の進歩に必要不可欠な、科学者が誰でも持つべき態度です。従来の理論に問題はないか、別の可能性はないか、考え落としていることはないか、などと問い続けることによって、科学は進歩していくものです。このとき、従来の科学的な知見をしっかりと踏まえて、その上に議論を展開することが大前提になります。

一方、「不健全な懐疑」は、この大前提を満たさない、科学者としてふさわしくない態度です。従来の科学的な知見を踏まえず、あるいはわざと無視したり、わざと曲解したりすることによって成り立つような懐疑です。このような懐疑は、往々にして従来の説を不当に貶(おとし)めます。

よく、懐疑論を擁護する発言として「科学には懐疑が不可欠だ」といわれますが、本当に擁護されるべきは「健全な懐疑」であり、「不健全な懐疑」ではないはずです。

ここで、僕が非常に難しいと感じていることは、非専門家の人から見ると、この両者はなかなか区別がつかないということです。論理展開を追う限りは、両者は同様にもっともらしく見えるかもしれません。提示されているグラフやデータを見ても、両者とももっともらしく見えるかもしれません。つまり、本をざっと読んだだけでは、「不健全な懐疑」を見破るのはなかなか難しいものです。

では、「不健全な懐疑」を見破るにはどうしたらよいのでしょうか。その一番の方法は、「原典にあたること」だと思います。本に引用されている文章やグラフの原典を探して、本当にそう書いてあるのか、本当にそういう文脈で出てきているグラフなのか、ということを確認することです。場合によっては、データの原典にあたる必要もあります。

これによって、引用がいい加減(多くの場合は孫引き)で間違えていたり、都合のよい部分のみを引用していたり、都合よく言い換えたり、都合よくグラフを加工したりしているなどの不健全な部分が見つかれば、議論の説得力は大幅に低下することになるでしょう。

しかし、言うまでもありませんが、この作業はたいへん手間暇のかかるものであり、論文やデータを検索したり読みこなしたりする多少の技術も要ります。これを一般の人に期待するのはたいへん難しい話です。だから、「不健全な懐疑」を信じる人がどうしても出てきてしまうのだと思います。

地球寒冷化の原典にあたった結果は?

僕は、テレビ用に分かりやすい例を1つ用意していきました。丸山さんの本に必ずといってよいほど出てくる、太陽活動と気温の変化の対応を表すグラフです。前述の、田原さんが解説を書いた本にも載っています。

丸山茂徳『「地球温暖化」論に騙されるな!』より(原典は根本順吉『超異常気象』)

この図は、黒い点と太い実線が太陽活動の強さを表す黒点相対数、白抜きの点が年平均気温を表します。黒点相対数は、よく知られているように約11年の周期で変化しています。しかし、70年ごろのピークに比べ、80年ごろ、90年ごろのピークが高くなっており、それに対応して気温も高くなっているように見える(気温の変化にも約11年の周期が見えなくもない)、というものです。このように、太陽活動が強いほど気温が高いというデータがあるではないか、というわけです。

このグラフは、気象庁を退官された根本順吉さんが93年ごろ書かれた本からの引用です。したがって、データは91年までしか書いてありません。1992年以降の破線は、根本さんが想像で描かれた仮定のグラフです。

では、このグラフのデータの原典にあたってみましょう。データは、根本さんのグラフより前の期間のものも手に入ります。また、根本さんが想像するしかなかった92年以降のデータも今ならば手に入ります。ちなみに、丸山さんは根本さんの気温データを「ハワイの気温データ」と紹介していますが、正しくは世界平均の気温データです。

(ベルギー王立天文台黒点数データおよびイーストアングリア大学気温データより作成)

するとどうでしょう。1つ前の60年ごろのピークは70年ごろのピークよりずっと高く、逆に00年ごろのピークは根本さんの仮定に反して90年ごろのピークよりずっと低いことがわかります。

つまり、太陽活動は、60年ごろから70年ごろに向けていったん下がり、それから上がって、90年ごろから00年ごろに向けてまた下がっています。それにもかかわらず、その間、気温は長期的にはずっと上昇傾向を示しています。この期間のデータを見せられたら、太陽活動が強いほど気温が高いという説明にすぐに納得する人はあまりいないでしょう。

丸山さんは、根本さんのグラフの前後のデータがこのようになっていることを当然知っているはずですが、それにもかかわらず根本さんのグラフを引用し続けるのはなぜでしょうか。僕は番組中で丸山さんに聞いてみましたが、答えは得られませんでした。

一方、丸山さんからは、海水準変化から推定した過去1000年スケールの気温変化が太陽活動の変化とよく対応している、というグラフが提示されました。僕はそのグラフを見るのは初めてだったので、当日は具体的な論評をするのを控えておきました。

結局、10年程度の時間スケールでは僕が言うように太陽活動と気温の変化は必ずしも対応しないが、1000年の時間スケールでは丸山さんが言うように太陽が重要なのだろう、という雰囲気になんとなくなって、この議論は時間切れになりました。

しかし、それならばなぜ、丸山さんは「今後5年間を見ていれば温暖化か寒冷化か決着が付く」なんて短い時間スケールのことが自信満々に言えるのでしょうね。これも番組中で丸山さんに聞いてみましたが、答えはよくわかりませんでした。

まあ、テレビの出し物ですので、こんなもんでしょう。

丸山さんが提示した、海水準変化から推定した過去1000年スケールの気温変化のグラフについては、これから調べてみて何かわかったら、またここで解説するかもしれません。

では、今回はこんなところで。

[2009年10月26日/Ecolomy]

第8回 過去1000年の気温変動の虚実