2012年8月号 [Vol.23 No.5] 通巻第261号 201208_261006

長期観測を支える主人公—測器と観測法の紹介— 2 透明人間!であるガスを測定する方法—NDIR:二酸化炭素の場合— その2

地球環境研究センター 副センター長 向井人史

4. 発覚した大問題

巧妙な仕組みをもった歴史的に重要であったこのNDIR法による二酸化炭素観測に衝撃的な問題が発覚したのは1970年代のことでした。キーリング博士らが測定に使っていた標準ガスに大きな問題が潜んでいました。二酸化炭素の濃度を正確に測るためには濃度のわかった標準ガスというものが必要です。通常3〜4本程度、低い濃度から高い濃度のものまで作っておいて、それと試料のガスと比較することで濃度を計算します。

当時の標準ガスは二酸化炭素を窒素で希釈して作っていました。おそらく窒素の方が安く、純度の高いものが得られていたせいだと思います。しかし窒素で希釈して作った二酸化炭素標準ガスと、それと濃度を同じにしながらも、空気(窒素と酸素の混合物)で希釈して作った二酸化炭素標準ガスでは、NDIR法の応答が1%も異なることが発覚しました。これは、大問題でした。これまで、窒素で希釈した二酸化炭素標準ガスをもとに大気中の二酸化炭素濃度計算をしていたものが急に成り立たなくなったということです。窒素で希釈した二酸化炭素の標準ガスを基準として使うと、4ppm程度実際の濃度より大きな数字になってしまったのです。当時の年間の二酸化炭素の変化量は1ppm程度ですので、この4ppmは非常に大きな数字であることが分かります。

窒素で希釈した二酸化炭素と空気で希釈した二酸化炭素では、何が違うのでしょうか。濃度的には全く同じであっても、実は二酸化炭素の赤外吸収線の形(光の波長に対する吸収の強さ)というものは、まわりに窒素があるのと酸素があるのとでは異なることがその原因とされています。赤外吸収は二酸化炭素の分子の形に関係した運動状態(結合の振動、回転)の変化に起因していますが、周りに分子がありそれにぶつかったりすると、その運動状態が少し影響されてしまいます。これは圧力による吸収線の線幅の広がりとして現れます。この広がり方は、ぶつかる度合いやぶつかり方によって変わります。この現象は簡単ではないようで、酸素より窒素に多くぶつかる(窒素の方が分子の大きさが大きい)ことに加えて電気的な影響もあって、窒素の方が吸収の変動が大きく現れ、吸収線の幅が広がってしまうことが知られています。吸収線の幅が広がるということは、一番高い吸収のピークが相対的に少し低くなるということです。高い砂山を少しならしたような感じです。NDIRの検出器の中の二酸化炭素は、実はアルゴンで希釈されており、吸収線の幅は酸素の場合と同じぐらいシャープな状態で、検出がなされていることになっています。従って、結果的に窒素で希釈した標準ガスは、感度が落ちたように検出されてしまうわけです。

fig. 吸収波長の広がり

吸収波長の広がり

このことから、NDIRに用いる二酸化炭素の標準ガスは空気で希釈して作成したものでないと、測定する方法によっては正確な値が測定できないということが認識されるようになりました。従って、自然とほぼ同様の標準ガス作りというのがその後大きな課題となったわけです。そのためアメリカの海洋大気庁(NOAA)では、実際のきれいな大気を乾燥してボンベに詰めて、適当に二酸化炭素の濃度を調整して標準ガスを作っています。標準ガスをどうやって作るかは、現在でもまだ、完全に解決されておらず、長年研究がつづけられています。

5. さらなる課題—マニアック?とよばれても

NDIRの分析の精度を追求するためにはもう一つ解決しなくてはならない問題がありました。二酸化炭素を構成する炭素および酸素には同位体と呼ばれる重さの違う(質量数の違う)炭素や酸素が存在します。炭素なら、質量数12という炭素が99%ですが、質量数13という少し重い炭素が1%程度混ざっています。この質量数12でできた二酸化炭素と質量数13でできた二酸化炭素では、同じ二酸化炭素でも赤外吸収の波長が少し異なります。問題は先ほどと同じように、世の中の二酸化炭素がすべて同じ同位体の組成なら良いのですが、そうではないことから問題が発生します。世の中に出回っている市販の二酸化炭素ガスは、石油や天然ガスなどの改質過程によって製造されるものがほとんどです。しかしその同位体比は、大気中の二酸化炭素の同位体組成と少し違います。ですから、もしこの二酸化炭素を使って標準ガスを作ると、大気の二酸化炭素と異なる感度を示します。感度の差は、0.1ppm以下であり前述の希釈ガスの効果よりはるかに小さい効果ではありますが、観測の高精度化を進めるためには問題になります。ですので、理想的には、希釈ガスが大気とまったく同じ酸素、窒素比率であり、かつ同じ同位体組成の二酸化炭素を標準に使わないと、まずいということになるわけです。

fig. 同位体毎に吸収波長は異なる

同位体毎に吸収波長は異なる

しかし、現実的に大気の二酸化炭素と同じ同位体比をもつ高純度の二酸化炭素ガスを手にいれる方法はまだ確立されておりません。ですから現在では、どうしてもその効果をそれぞれの計測機器で評価しつつ補正を掛けるということで、真値を求めるように努力しています。ここまでくるとかなりマニアックな世界かもしれません。なぜなら、これまで世界でのNDIRの二酸化炭素の測定の誤差と考えられるのは0.05ppm程度でありますので、測定器の精度とその他の理由がある誤差が同程度であり、かなり細かい議論になっているためです。そのため、この現象を正確に見極めるにはかなり慎重に実験を繰り返さなければなりません。

6. 新たな分析法の登場

NDIRの巧妙な仕組みの良いところは、非常に壊れにくいということがあります。ハワイで50年前に観測を始めた装置は現在でも稼働していますし、地球環境研究センターの地球環境モニタリング事業として波照間(沖縄県)に20年近くまえに設置したものも、稼働し続けています。しかし、技術は進歩し近年においてはNDIRの検出の仕組みも変化し、二酸化炭素の吸収波長の赤外線だけを通す特殊なフィルターが半導体の赤外線検出器に置き換わり、装置も小型化しています。

さらに数年前からにわかに登場してきた、キャビティリングダウン法(CRD)という赤外吸収法はいまや世界を席巻しつつあります。この方法は、ぐるぐる光が反射する三角形の部屋の中で、赤外線が試料により吸収され光が減衰していく時間を計って濃度計算しているもので、非常に長いセルの中で吸収量を計ることに匹敵しているため、その精度や感度が良いと考えられています。

それらの流れの中で歴史的なNDIRの観測装置の使用は少しずつ減ってきていますし、古い型のNDIRの製造が現在されなくなったということもあります。しかしこれまで培われてきた二酸化炭素観測精度の向上に関する課題は観測機器が新しくなっても同様に存在し、昔も今も共通する課題として、今後とも取り組まねばならないものとして残されています。

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