2019年8月号 [Vol.30 No.5] 通巻第344号 201908_344002

地球を舞台とする大実験をどう終えるか?

  • 地球環境戦略研究機関参与(元国立環境研究所理事) 西岡秀三

今、興味をもって仕事をしていることの一つは地球を舞台とする大実験をどう終えるかということです。昨年大病を患いましてどう人生の始末をつけるか考えていたとき、自分自身の終活だけではなく、これまで取り組んできた地球温暖化問題の始末はどうするのかなとふと思ったわけです。

Roger Revelle の言葉に啓発されて

もう60年も前の1957年、地球観測年に際してスクリプス海洋研究所のRoger Revelleは、温暖化について “Human beings are now carrying out a large scale geophysical experiment of a kind that could not have happened in the past nor be reproduced in the future.”「人間は、今まで起こりようもなく、将来二度とやり直しができないような壮大なスケールの地球物理学的実験を行おうとしている」と言っています。私はこの言葉におおいに啓発され、温暖化という大実験を30年追っかけてきました。

世界はいま「二酸化炭素を出すと本当に地球は温暖化するだろうか?」という大実験の最中にあります。ひょっとするとこの実験を始めたのはいいがもう止めようのないものになってしまっていて、実験をしている人類自体を滅ぼし、人間社会がもう二度と再現できない実験になるかもしれない。実験の真っ只中にいる人類は、止めようもない自分の魔法に途方に暮れている「魔法使いの弟子」のような状態にあります。

IPCCに参加した30年ほど前から、この大実験のいわば「実験ノート」として、温暖化とそれに対する世界の取り組みを上図に作りました。これに新しい動きを書き加えてゆき、この先どうなるのかを考えながら研究の重点を移してゆきました。

下段から見てゆきますと、自然は自然の理にのっとって待ったなしで動いている。それを観察しメカニズムを解明するのは自然科学だが、これは大いに進展し、マウナロアでの一点観測から「いぶき」による全球濃度計測もできるようになった。何万という科学論文の百花争鳴を集約・評価し、その最先端の知見を何とかまとめてみるという新たな科学の方法でIPCCが7年ごとに報告する体制ができた。UNFCCCができ毎年集まっては実験の責任を押し付けあっているうちに、二酸化炭素の排出はもう止めようもなく増えてしまった。Revelleの予言から50年以上たってパリに集まった人々がともかくもう大実験は止めようぜと合意した。しかし、時や遅し。止めるまでに残された時間は半世紀もない。止め方も知らずに始めた実験をどうするか、右往左往するばかり。こうして振りかえってみると、いったい私たちは何をやってきたのだろうかとつくづく考えます。もう少し早く対応できなかったのかと思います。

炭素中立社会への転換をどう考えるか

幸いなことに科学がこの大実験を止めるための唯一無二の呪文を見つけています。「ゼロエミッション」です。人間が出す二酸化炭素の半分以上が大気に残り毎年たまり続けます。それにほぼ比例して温度が上がります。この簡単で動かせない自然の理(ことわり)から、「温度上昇を止めるには、一切出さない」しかないことが容易に導かれるからです。けれどもこれを唱えさえすれば大実験が止まるというわけにはゆきません。今の「化石燃料依存社会」を二酸化炭素をいっさい出さない「脱炭素社会」に転換するという、大終活がいるのです。

パリ協定の長期目標である「世界的な平均気温上昇を産業革命以前に比べて2°Cより十分低く保つとともに、1.5°Cに抑える努力を追求する」を達成するためには、おそくとも今世紀後半の早期に脱炭素社会に変えねばなりません。

脱炭素社会の骨格:どんな世界に変わるのかのイメージが固まりつつあります。炭素中立社会の究極エネルギーシステムは、基本的に自然エネルギーに頼らざるを得ないということがわかってきました。原子力はコストが高すぎますから、エネルギー生産は、水力、地熱、太陽光エネルギー、バイオマスによるものになります。ですから、森林や河川、広々とした土地などの自然資源が非常に大切な資産になってきます。エネルギー供給形態は、電力が中心で、地方に分散した自然エネルギーをつなぐ自立分散型ネットワークシステムになります。家庭はしっかり断熱された節エネ住宅にソーラーパネルの発電で脱炭素に変わるでしょう。電気自動車の電池が電力の調整に加わります。素材産業でも脱炭素型製造が始まりつつあります。また、シェアリングエコノミー[注]は需要と供給をうまく合わせて無駄を省くのでとても有効です。

脱炭素転換の影響:化石エネルギーは近代社会の血液として社会のすべてにいきわたっています。ですから化石エネルギーを使わない社会への転換が引き起こす影響は大きく、国の発展基盤を揺るがすことになります。一番わかりやすいのは産油国のケースです。化石燃料資産が経済的価値を失うことになりますから、中東をはじめとする産油国の世界経済上の重要性は低下します。産油国もすでに、今売れている石油の売り上げを自然エネルギーの開発に投下し始めています。代わってブラジルやインドネシアは森林や土地、水資源の価値が上昇しますから大資産もちになります。日本や欧米などの工業国は化石燃料依存のインフラをどう変えていくかが課題です。気候対策は技術の不連続発展をもたらし、産業構造・雇用構造を変えます。以前国立環境研究所の清水浩さんが世界最速の電気自動車を作りましたが、エンジンがなくなると今までエンジンを製造していた中小企業が不要になります。その一方で、モーターや電池産業は拡大します。特に産業構造の変化は地域の産業の盛衰に結び付き地域の雇用に大きな影響をもたらします。こういうことにどう対応するかも慎重に考えなければなりません。

そうはいっても転換の向こうには悪くない話が待っています。排出が続けばそれに比例して大きくなり続ける大雨、洪水、熱中症などの気候変動被害リスクを事前に回避できます。経済的には巨大脱炭素マーケットが期待されますし、いずれゼロエミにしなければならないのですから脱炭素社会インフラへの投資は間違いなくいい投資案件です。エネルギー安全保障面では、自国産自然エネルギーが主流になって、中東・海外依存から脱却でエネルギー輸入代金分を国内投資に向けられます。エネルギーの自立分散型ネットワークにより、災害時リスク分散と地域経済循環の活性化が見込めます。

ではいつから始めるのでしょう。もちろん早いほうがいいに決まっています。なぜならもはやその方向しか選択肢がないのですから。私は素直にそう思います。しかし、転換に伴う地域の産業変化や雇用調整の問題がありますから時間をかける必要もあります。たとえば、フランスのマクロン大統領が実施しようとした燃料税増税のように、あまり急ぎすぎては国民の理解が追いつきません。こういった転換に伴う懸念にも対処せねばなりません。そのためにもなるべく早くに着手するべきです。

転換期の科学者の役目:この転換における科学者の役目は重要です。それは「事実」をきちんと踏まえてわかりやすく伝え、人々の行動を促すことです。脱炭素という明快な目標を半世紀の間に成し遂げるためには、政府、地方公共体、産業、金融界そして生活者、いわば全ての人が動かねばできません。科学者は、温暖化のメカニズムやリスクをきちんと科学的データに基づいて説明し脱炭素の必然性を説くだけでなく、低炭素都市のデザインを提案し、政府の脱炭素化ロードマップづくりに参加したり、カーボンプライシング理論に基づく個別政策を提案できます。

多様になった生活者の役割:この転換にあたり、生活者の役目がどんどん大きくなってきました。脱炭素化に向けて生活者は賢い消費で産業・経済に働きかけることができます。しかしいまはもう生活者 = 消費者だけではありません。ソーラーパネルなどの電力を作る人でもあります。生活者は同時に職場での生産者として脱炭素ビジネスを創造することが可能です。投票・提案で政治・政策に働きかけることもできます。この転換においては一市民がいろいろな形で脱炭素社会づくりに対して行動ができる時代になります。その大きなボトムアップのポテンシャルに期待して、科学者は正確な情報を広く発信するべきです。

移行管理の必要性:今の社会は、構成要素が政治体制・技術体系・エネルギー等いくつかの主要な軸によって貫かれ、それなりに最適な社会ができあがって動いています。軸の一つが時代遅れになり抜け落ちると、サブシステムがバラバラになってしまいます。そこで新しい軸を入れなおして、サブシステムを組みなおし、新たな最適化に向けて転換する必要があります。脱炭素転換では、地球温暖化が引き金になって化石燃料エネルギー軸が抜けた古いシステムが崩壊していき、新しい自然エネルギー自立分散ネットワーク軸を中心に技術や制度が組み替えられます。新しい社会に向けた実験的努力がいくつかなされ、それが制度化されてゆき、最終的に新しい世界に転換する。その間産業構造や地域構造が変わり、雇用が新産業に移行するときにさまざまな摩擦が生じます。半世紀と時間が限られた中で最少の摩擦で効率的に新しい社会に変えていくためには、科学に基づく「移行管理(Transition Management)」が必要です。これが新たな脱炭素社会作り実験の始まりです。

化石エネルギー社会をときほぐし、新たな社会に転換するためには、さまざまなレベルでの要素の組み替えがいります。住宅・自動車・家電・ソーラーパネル・電池といった企業がこれまでの縦割りの壁を打ち壊し、協働で新しい脱炭素技術体系を模索しています。大都市も自然エネルギーを求めて地方都市と連携を強めています。水平の交流だけではなく、政策・制度をつくるトップダウンの政策と個別ステークホルダーのボトムアップの行動のマッチングが必要であり、政治・政策のリーダーシップのもと、さまざまなレベル・地域・世代間で壁を越えたステークホルダー間の対話を高めてゆく必要があります。こうした対話や意思決定をただしい科学的な知識に基づいて進めるためにも、科学者のより一層の社会参加がのぞまれます。

化石燃料世紀の二度とできない大実験に終止符を打ち、自然と共生する持続社会構築実験に向かう研究者の仕事はまだまだ続きます。

*2019年6月12日、国立環境研究所でのセミナーに加筆

脚注

  • 物・サービス・場所などを、多くの人と共有・交換して利用する社会的な仕組み。

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