!本稿に記載の内容は2010年9月時点での情報です
温暖化の科学については、IPCCという国連の機関の報告書がいつも引用されますが、一部の科学者の意見をまとめただけで、それが正しいとは限らないのではありませんか。
高橋潔 地球環境研究センター 温暖化リスク評価研究室 主任研究員 (現 社会環境研究センター 統合評価モデリング研究室 主任研究員)
包括性・客観性の高い最新の科学的知見の評価報告を作るために、IPCC報告書の作成手順には各種の工夫が施されています。大規模かつ透明性の高いレビュー[注1]プロセスはその一例です。報告書は誤り・偏りを極力減らして内容を改善することを目的にして公表前に複数回のレビューを受けますが、そのレビューには世界中から2000人を超す研究者や政府関係者が参加します。また、温暖化の科学には、依然として理解が不十分な点や専門家の間で見解が一致していない点もありますが、報告書はそういった点の不確実性の大きさや見解の一致度についても伝えるように作られています。
国民の大半は、IPCC報告書の内容について、新聞などのマスメディアを通じて知ったことと思います。しかし報道資料では報告書の作成手順まで詳説されることはまれです。そのため「どこかにIPCC本部があり、そこでは数十人の研究者が雇用され、日々報告書作成のための研究を実施している」というようなイメージがもたれる場合もあるようです。
事実はそうではなく、たとえば2007年に公表された第4次評価報告書(Fourth Assessment Report: AR4)については、150を超す国々からの約500人の主執筆者らによって草稿が作成されており、その草稿をレビューした専門家の数は約2000人にも上ります。また、温暖化に関する最新の科学的知見について包括的かつ客観的な見解を示す報告書となるよう、その作成手順には多くの工夫が凝らされています。本稿では、IPCC報告書の作成手順を詳説し、そこに凝らされた工夫について紹介します。
温暖化問題の重大さと対策の必要性への認識の高まりを受け、IPCCは世界気象機関(World Meteorological Organization: WMO)と国連環境計画(United Nations Environment Programme: UNEP)により1988年に設立されました。その使命は、温暖化研究を独自に企画実施することではなく、既存文献に基づき温暖化に関する最新の科学的知見を収集・評価し、現時点で科学的に何がどの程度わかっているのか、を整理して示すことです。
IPCCの活動は、計30名の議長団(ビューロー)の下に、「第1作業部会(自然科学的根拠)」「第2作業部会(影響、適応、脆弱性)」「第3作業部会(緩和策)」ならびに「温室効果ガスインベントリに関するタスクフォース」が置かれ、世界中の多くの科学者の協力を得て行われています。各作業部会での評価作業は定期的に行われ、その報告書は国際的に合意された科学的理解として認知され、政策検討・国際交渉の場面でも多用されてきました。そのような経緯から、科学的知見に依拠して望ましい特定政策を提案することがIPCCの役割である、との誤解を受けやすいのですが、設立以来IPCCは政策中立を原則としており、特定の政策を提案することはありません。
各作業部会の報告書は図1の手順で作成されます。
以上のように、報告書の包括性・客観性を高めるとともに、誤り・偏りを減らすため、作成手順に様々な工夫が凝らされています。なかでも、REは第3次評価報告書(Third Assessment Report: TAR)で新規設置されました。TAR以前は、レビュー意見を草稿にいかに反映させるかは、最終的には各章CLA・LAの判断に委ねられていましたが、レビュー意見の適切な反映を目指した改善といえます。
各々の工夫の効果を客観的に評価することは困難ですが、AR4にLAとして参加した経験の範囲で主観的意見を述べるなら、それぞれ有効に機能していると思います。大量に寄せられたレビュー意見については、REの助言も得つつ、取り扱いに議論を要するもの、さらに文献をあたり情報追加が必要なもの、文法修正等の軽微なもの等に種別され、限られた作業時間の中で、それぞれ適切な対応がとられていたと思います。少なくとも、理にかなった意見を無視するようなことはありませんでした。
以上に示した作成手順からわかるように、また執筆者としての経験から言えば、質問文の「一部の科学者の意見をまとめただけで、正しいとは限らない」との見方は的を射ていないと考えます。ただし、TAR以降にREが設置されたように、作成手順の透明化と包括性・客観性向上のために、今後もさらなる工夫を重ねていくことは重要でしょう。