ココが知りたい温暖化

Q10海洋酸性化の影響

!本稿に記載の内容は2010年9月時点での情報です

今の調子で二酸化炭素の排出が続くと、二酸化炭素が溶け込んで海水が酸性化し、海の環境に大きな影響を与えかねないというのは本当ですか。

野尻幸宏

野尻幸宏 地球環境研究センター 副センター長 (現 地球環境研究センター 上級主席研究員)

大気中の二酸化炭素濃度増加で海洋酸性化は既に起こっていて、海水の酸性度は上昇しつつあります。海水の酸性化は、生物の殻や骨格になっている炭酸カルシウム生成を強く妨害するので、海の生物に影響を与えます。21世紀半ばには生物に対する影響が顕著になる可能性が高いと考えられますが、生物種ごとの影響はまだ十分に解明されていません。海洋酸性化の影響を小さくするには、二酸化炭素の排出を抑制し、できるだけ低い大気安定化レベルを実現するという根本的な温暖化対策しかありません。

海洋の酸性化はもう始まっている

酸性度の指標であるpHは、水素イオン(H+)濃度が高まり酸性度が上がると小さな値、酸性度が下がると大きな値になります。純粋な水のpHである7を「中性」と定めてあるので、簡単にいえば、pH 7以下が「酸性」、pH 7以上が「アルカリ性」です。二酸化炭素(CO2)は水に溶けると酸としての性質を示します。

海水は、現在pH 8.1程度の状態にあります。この状態では、海水に溶けたCO2から、炭酸水素イオン(HCO3)や炭酸イオン(CO32−)のようなイオンが生じ、その比率は [HCO3] > [CO32−] > [ガスとして溶けているCO2](約100:10:1)になっています。CO2を含む海水では酸(H+)を中和する炭酸水素イオン(HCO3)や炭酸イオン(CO32−)の働きで、CO2以外の小さな環境変動があってもpHは8付近で安定しています。このため、海で進化してきた多くの水生生物はpH 8付近の環境に適応した生理をもち、極端なpH環境では限られた生物しか生きられません。

海洋は化石燃料起源のCO2の約半分を吸収していて、大気中の濃度増加を緩和しています。当然の結果、その分だけ海水にガスとして溶けているCO2濃度が増加し、海洋は酸性化しつつあります。産業革命以前の海の平均的なpHは8.17程度でしたが、現在の大気濃度380ppmでpHは既に8.06程度にまで低下しました。今後も表層海洋のpHは低下を続けると考えられます。深い海のpHも次第に低下していきますが、表層に比べればゆっくりした変化です。そのため、まず問題となるのは、海洋表層のCO2濃度増加の影響です。

生物が炭酸カルシウムを作れなくなる

pHが低くなると、何が問題になるのでしょうか? 海水にはカルシウムイオン(Ca2+)が含まれているので、炭酸イオン(CO32−)が一緒に存在すると、水に溶けにくい固体である炭酸カルシウム(CaCO3)を生成します。海に炭酸カルシウム(CaCO3)の殻や骨格をもつ多くの生物(石灰化生物という)が存在するのは、簡単に炭酸カルシウム(CaCO3)の結晶体をつくれるためです。現在は、カルシウムイオン(Ca2+)と炭酸イオン(CO32−)のそれぞれの濃度が十分に高いので、イオンが海水に溶けきれなくなって、固体の炭酸カルシウム(CaCO3)を形成しやすい状態にあります。これを化学では「海水は炭酸カルシウム(CaCO3)にとって過飽和状態である」といいます。

現在の海洋の炭酸イオン(CO32−)とカルシウムイオン(Ca2+)は、結晶ができる濃度より2〜6倍ほど過飽和状態にあり、材料が何倍も過剰に存在し、きっかけさえあれば炭酸カルシウム(CaCO3)の固体ができます(図1)。生物はそのきっかけとなる作用を与えて、炭酸カルシウム(CaCO3)の結晶を容易につくります。ところが、CO2濃度が増えると、CO2自身が出す酸(H+)により炭酸イオン(CO32−)が中和されて濃度が下がり、炭酸カルシウム(CaCO3)の生成が難しくなります。将来さらに炭酸イオン(CO32−)濃度が低下し過飽和度[注1]が1を割ると、化学的な制約から結晶形成は間違いなく不可能になるでしょう。進化の過程において炭酸カルシウム(CaCO3)の殻が作れないような低いpHあるいは低い炭酸イオン(CO32−)濃度を経験していない今の生物が、そのような環境に簡単に適応することは不可能です。

海の生物に影響が出るかもしれない

炭酸カルシウム(CaCO3)には、アラゴナイト(あられ石)とカルサイト(方解石)という二つの結晶形があります。同じ炭酸カルシウム(CaCO3)でもアラゴナイトはpH低下で溶解しやすく、水温の低い極域の海では海水のpHが7.84になるだけで、アラゴナイトをつくる生物は炭酸カルシウム(CaCO3)をつくれなくなるでしょう(図1)。極域の海で表層海水のpHを7.84にさせる大気CO2濃度は約640ppmで、このままでは21世紀の後半に到達するとされる大気濃度です。たとえば、翼足類という軟体動物(プランクトン生活をする巻貝)はアラゴナイトの殻をもつ冷たい海に住む生物なので、大きなダメージを受けるでしょう。過飽和度 = 1は、アラゴナイトをつくる生物にとって絶滅を意味する「レッドカード」です。ではいったい、どのくらい過飽和度が低下すると生物に重大な影響が出るのでしょうか?

アラゴナイトの殻をつくりながら成長する海の生物の代表はサンゴです。サンゴ礁を形成するサンゴは水温の高い海に住む生物であり、水温の高い海では過飽和度がなかなか1までには下がらないので、大丈夫かもしれません。しかし、成長に時間のかかるサンゴのような生物が、過飽和度低下によりどういった影響を受けるかについては、実際にはまだよくわかっていないのです。短期間の飼育実験では、産業革命以前のCO2濃度の2倍という条件下で、サンゴの炭酸カルシウム(CaCO3)形成速度が21%低下したという研究例があります。つまり「イエローカード」の大気濃度は、過飽和度 = 1の線より相当上なのです(図1)。

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図1大気CO2濃度が高くなるとアラゴナイト(あられ石型CaCO3)ができなくなる?

円石藻は大西洋などで大増殖する植物プランクトンで、カルサイトの丸い板を重ね着したような形をしています。カルサイトはアラゴナイトより溶けにくい炭酸カルシウム(CaCO3)固体なので、アラゴナイトが溶けるpH 7.7程度の海でも溶解には至りません。しかし、円石藻の培養実験では、カルサイトの過飽和度が4から3に下がるだけでも急激な生育低下が見られました。また、ウニや巻貝の仲間を産業革命以前の大気の約2倍のCO2濃度の空気を吹き込みながら飼育する実験でも、成長が有意に阻害されたという報告があります。今までの結果は、アラゴナイトやカルサイトの溶解に至る濃度増加より低いレベルで海洋生物への影響が起こり始め、また、生態系変化を通して海洋の炭素循環に変化が生じる可能性を示唆するものです。

CO2の排出削減だけが海の生物・生態系を守る

生態系に対する決定的影響がどの程度のpHで生じるか、科学的に完全な知見があるとはいえないわけですが、それをおそらくは避けることができる「ガードレール」的pHは、より高いところに設定すべきです。ドイツの科学者評議会声明では、これまでの生物影響データを総合的に判断すると、決定的影響が現れるのは産業革命以前からの変化として0.2のpH低下である、と示されました。「ガードレール」は、平均的な海水pH変化が0.17で収まる大気CO2濃度 = 450ppmであるという主張です。しかし、この「ガードレール」でも、極域海洋のようなアラゴナイト過飽和度が下がりやすい海での生態影響は避けられないようです。

海洋酸性化への対策は、CO2の大気放出量を減らすという根本的な温暖化対策以外にありません。大気濃度を安定化できても、海洋が「吸収してしまう」CO2を処理して海洋のCO2濃度を抑制することはほぼ不可能だからです。表層海洋のCO2濃度は早晩大気の安定化濃度レベルと等しくなり、海洋深層のCO2濃度は時間をかけて上昇していきます。安定化濃度レベルの設定には、海洋生物と生態系への影響を考慮するべきでしょう。そして、海洋からCO2を取り除くことが困難なことは、一旦海洋生物と生態系へ影響が起こってしまった場合の回復方法がないことを意味します。

注1
過飽和度とは過飽和であることの指標のこと。値が1よりも大きければ過飽和であり、溶解している物質が固体になってもおかしくない状態。逆に1より小さければ、固体が溶解してしまう状態を表す。

さらにくわしく知りたい人のために

  • J. Ruttimann (2006) Nature Digest (Nature Publishing Group), October 3, 16-19 (病める海洋).
    http://www.nature.com/ndigest/archive/index.html からダウンロード可能
  • S. C. Doney (2006) 海洋酸性化の脅威 (日経サイエンス). 日経サイエンス6月号, 50-59.
    http://www.nikkei-science.com/ より有償でダウンロード可

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